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360°から眺める「姫路城十景」。朝、昼、夕、夜の写真で案内します。

20150322姫路版/姫路城

世界遺産・国宝「姫路城」の「平成の大修理」は、2009年度に測量がスタートし、2015年3月に完了しました。工事用の素屋根が外れた直後に現れた大天守の姿は、愛称の「白鷺(しらさぎ)城」を超えて「白すぎ城」と呼ばれるほど、真っ白でした。

そんな姫路城を眺める絶好のスポット「姫路城十景」をご存じですか?大天守の東西南北に点在し、その正面、横顔、後ろ姿をもれなく楽しむことができます。姫路市が1994年、世界遺産登録を記念して市民から公募し、選定しました。  

今回の「うっとこ兵庫」では、神戸新聞姫路支社(現・姫路本社)に勤務していた記者きんぎょばちが、「平成の大修理」完了直前の2015年1月に取り組んだ連載企画「平成の白鷺を追って 姫路城十景」から、あらためてその10カ所を紹介します。写真はいずれも現・映像写真部の大森武デスクが担当しました。

※記事の最後に撮影ポイント10カ所を示す地図があります

一、男山(姫路市山野井町)。夜明け前、大天守の「白」に思いが溶け合います。

十景❶男山

 青、白、黄、赤、黒―。さながら絵の具を溶いたパレットのように、刻一刻と表情を変える空。そのただ中に優美な、だが貫禄に満ちた輪郭が浮かび上がる。姫路市中心部の小高い「男山」(標高57・5メートル)から見渡した、夜明け前の世界遺産・国宝姫路城だ。
 男山は神々の時代、大汝命(おおなむちのみこと)の船が難破した際に、箱が落ちてできた山だと「播磨国風土記」は伝える。中腹には歴代城主が信仰した男山八幡宮(はちまんぐう)、千姫が朝夕拝んだとされる千姫天満宮が鎮座する。
 早朝、散歩の市民が山頂を目指す。近くに住む女性(70)は、暁の陽光に照らされる城を眺めながらの体操が日課だ。「黒ずんでいたころも、素屋根に覆われていた時も、真っ白になった今も、一日の始まりを感じさせてくれる、そんな存在」と話していた。

(2015年1月1日付姫路版より)

二、増位山(姫路市白国、砥堀)。大天守の後ろ姿が朝もやのベールに包まれていました。

十景❷増位山

 姫路市街地の北。姫路城を背後から守る屏風(びょうぶ)のように、細く連なる山がある。増位山(標高約260メートル)だ。
 中腹のポケットパークから見下ろした街と、その先の城は朝もやにかすんでいた。白いベールをまとった大天守を眺めるうち、近世に迷い込んだような錯覚にとらわれる。
 山頂付近には、黒田官兵衛の叔父の小寺休夢、僧名「善慶」が拠点とした随願寺が広がる。1573(天正元)年に戦火で焼失したが、85(同13)年に豊臣秀吉が再興。江戸期には姫路城主・榊原忠次が本堂を再建した。「官兵衛も通っただろうし、秀吉や忠次も足を運んだだろう」。住職が静かな境内を見渡す。
 古い時間や記憶が漂う場所。そこから見る城もまた神秘性に満ちていた。

(2015年1月3日付姫路版より)

三、手柄山(姫路市西延末など)。大天守と新幹線が競演する名スポットです。

十景❸手柄山

 正面の大天守に見とれていると、眼下を黄色い影が走り抜けた。
 姫路市中心部の南西にある手柄山(標高約50メートル)の山頂。「緑の相談所前広場」から姫路城を眺めるとき、〝名脇役〟がいる。高架上を駆ける新幹線だ。とりわけ「ドクターイエロー」と呼ばれる検査車両が通過する瞬間は、「白」と「黄」の競演で風景が華やぐ。
 手柄山では1966(昭和41)年、姫路城の「昭和の大修理」完了を祝い、姫路大博覧会が催された。そのパビリオン跡には今、写真愛好家らが集う。「城と鉄道を絡めて撮るならここしかない」。市内の男性(76)がカメラを構えた。

(2015年1月4日付姫路版より)

四、大手前通り(姫路市駅前町など)。JR姫路駅から城まで、歴史を刻む一本道。

十景❹大手前通り

 通勤、通学の人や車が行き交う朝の大手前通り。「城を目指して通学しています」と話すのは、賢明女子学院中学3年の女子生徒。JR姫路駅を北に出ると姫路城まで一本道で、学校はもう目の前だ。
 1955(昭和30)年に完成した姫路のメーンストリート。城の大修理と歩調を合わせるように、歩道の拡幅や駅ビル建て替えなどが進み、活気を増す。
 「空襲の後、この辺りは焼け野原だった。その中で、城だけは変わらず立っていて、ほっとした」こう振り返るのは姫路空襲の語り部を続ける男性(85)。講演では必ず、焦土に立つ姫路城の写真を持参する。城は、街の復興や発展を見守り続けてきた。
 登城する武士たちが、火の海の中を生き延びた少年が、いつか歩いた道を、今日は中学生が元気に跳ねていく。

(2015年1月5日付姫路版より)

五、城見台公園(姫路市本町)。市立動物園のキリンも大天守を見上げているのでしょうか。

十景❺城見台公園

 天守閣を見ようと首を伸ばすのは人間だけではない。姫路城を望む立地から、その名が付いた「城見台公園」。そこからフェンス越しに、隣の姫路市立動物園をのぞくと、キリンが悠々と白鷺(しらさぎ)の〝足元〟を闊歩(かっぽ)していた。
 「お城の中の動物園」は1951(昭和26)年の開業。約110種、390頭の動物がいる園内を、城の内堀が貫く。キリンを見てもゾウを見ても、大天守が視界に入る。
 内堀近くに住む男性(68)は、孫を連れてしばしば動物園を訪れる。目下のところ、2人は動物を追うのに夢中。「お城の良さが分かる年齢になるまで、何度でも来たい」と目を細める。

(2015年1月6日付姫路版より)

六、市立美術館(姫路市本町)。大天守の「白」とレンガの「赤」の対比が際立ちます。

十景❻姫路市立美術館

 江戸時代から幾多の戦禍を免れてきた姫路城。その足元に寄り添う赤れんがもまた、激動の時代をくぐり抜けてきた。戦前、戦中は陸軍倉庫。戦後は市役所庁舎…。現在の姫路市立美術館だ。
 重厚な建物は明治、大正期に建てられた被服庫と兵器庫の2棟を連結した構造。用途が変わるたび、れんがの積み替えや補強などが施されてきたが、今も昔も「赤れんが館」の愛称で親しまれる。
 近世と近代、和と洋、白と赤―。両者が織りなす鮮烈なコントラストは、宝くじのデザインにも採用された。美術館の中庭のガス灯がともると、漆喰(しっくい)とれんがの対比が際立つ。
 建築当初のれんがも一部、健在という。「探せば、れんがに刻まれた明治期の『窯印』を見つけられます」と美術館学芸課の職員(52)。片や、城の石垣にも、工事の担当者などを識別した「刻印」が残る。
 異質ながら調和する二つの建築が夜を染める。

(2015年1月7日付姫路版より)

七、シロトピア記念公園(姫路市本町)。鏡に映る、もう1つの姫路城。

十景❼シロトピア記念公園

 シロトピア記念公園では天守閣が二つ見える。一つは、原生林と石垣に守られた実物。もう一つは、兵庫県立歴史博物館の外壁を成す、立方体のマジックミラーの中にある。
 世界的建築家の丹下健三氏(1913~2005年)が設計した同館は、姫路城をとことん意識している。白い外壁に、狭間(さま)をイメージした通風口。直線で見通せる廊下はなく、「攻めにくい」築城理念も取り込んだ。
 「至る所で城が見え、城を感じる」と開館当初から勤める職員(57)。丹下氏は自作について「城の中と同じような感覚を醸し出す」との言葉を残している。

(2015年1月9日付姫路版より)

八、景福寺公園(姫路市景福寺前)。夕日に染まる、大天守の横顔。

十景⑧景福寺公園

 幕末、岡山藩の砲兵が姫路城に向け、大砲を構えたという景福寺山(標高約50メートル)。今は展望広場となった「景福寺公園」に立つと、天守閣が驚くほど鮮明に見えた。
 なるほど、絶好の砲撃拠点は、最高の見晴らし場所でもある。夕刻、沈む日が、「平成の大修理」で塗り直された壁も、瓦の継ぎ目の漆喰(しっくい)も、翼のように延びた西の丸長局も、一様に紅に染めていく。その優美さを引き立たせる化粧のように。
 麓の景福寺が運営する保育園の園児たちは日々、城を眺めながら成長していく。「姫路城は日常風景の一部だった」と卒園生の男性(24)。
 園児たちは卒園前、天守閣に登り、普段とは逆に景福寺山を見下ろすのが慣習という。大修理で途絶えていた伝統の遠足は、来年度から復活する見込みだ、復活する見込みだ。

(2015年1月10日付姫路版より)

九、三の丸広場(姫路市本町)。星空が大天守を照らします。

十景❾三の丸広場

(写真は、8秒間露光で撮影した1598枚を比較明合成)

 観桜会、薪能、観月会…。年中多彩な行事が催される三の丸広場だが、特別なイベントがない時も、夜ごと、武士の世から変わらぬ〝ショー〟が繰り広げられる。
 天守閣を照らす明かりが消える夜10時。大手門をくぐると、照明に代わり、星々が悠久の輝きを放っていた。
 三の丸は江戸時代、藩主の御殿、執務や迎賓用の屋敷が立ち並び、藩政の中枢だったとされる。だが明治以降、兵舎建設のために次々と取り壊された。建物の名残はないが近年、発掘や文献の調査が進む。昨年は、かつて上級藩士が行き交った、広場を貫く大路の遺構が見つかった。
 「まだまだ地中には江戸時代の生活の痕跡が残っているはず」と姫路市埋蔵文化財センターの学芸員(42)。花見や月見、アイドル歌手のコンサートも開かれる広場の地中に、藩士たちの日々が今も眠っている。

(2015年1月11日付姫路版より)

十、名古山(姫路市名古山町)。姫路城の横顔には、黄金色の朝日がよく似合う。

十景❿名古山

 先ほどまでの青紫の空が、見る見る黄金色に染まる。名古山(標高約45メートル)から見る姫路城の端正な横顔には、朝日がよく似合う。
 2015年の三が日。丘陵に広がる「名古山霊苑(えん)」は墓参の姿が多く見られた。大天守と向き合って斜面に立つ墓石。振り返れば、ドーム屋根の仏舎利塔が、東洋の異国のような雰囲気も醸し出す。
 姫路市広畑区で喫茶店を営む男性(77)が、両親の墓に静かに手を合わせていた。就職のため20代で大分から姫路へ。両親は生前、姫路を訪れる機会はなかったが、故郷から分骨する際、「城がよく見えるように」とここを選んだ。見知らぬ土地での慣れない暮らしで、城は、故郷とともに心の支えだった。
 大修理を終える姫路城。訪ね歩いた「十景」は、十をはるかに超す色や光、歴史、人々の思いに彩られていた。新たな時代へと羽ばたく白鷺(しらさぎ)を祝福するように。

(2015年1月12日付姫路版より)

10カ所から眺めた姫路城、いかがでしたか?ちなみに、記者きんぎょばちはJR姫路駅から北へ歩いて「みゆき通り商店街」を抜けた先、「本町商店街」のアーケードの向こうに顔をのぞかせる姫路城が好きでした。

ウェブサイト「神戸新聞NEXT」には姫路城の話題もたくさん。姫路城の目覚め、大天守の窓を開け放つ「土戸開け」の動画はこちらからどうぞ。

「平成の大修理」の完了から6年半。「白すぎ城」と呼ばれた大天守は「やや黒ずんできた」と言われることもありますが、今も姫路の町に堂々とたたずんでいます。

最後に「十景」の撮影ポイントを紹介します。地図上の番号は①男山②景福寺公園③三の丸広場④手柄山⑤名古山⑥増位山⑦市立美術館⑧城見台公園⑨シロトピア記念公園⑩大手前通り…です。

姫路城十景凸版

(この記事にある写真は全て、映像写真部の大森武デスクが担当しました)

<記者きんぎょばち>入社14年目。姫路には2012年3月から2015年4月まで勤務。着任時には素屋根に覆われていた大天守が、離任の直前でグランドオープンし、得した気分でした。

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