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美しく、荒々しく、そしてユニークな阪神地域の山々

 朝焼けに染まった空と高層ビルの立ち並ぶ夜景が、稜線(りょうせん)を際立たせる。朝日が昇った。黄金(こがね)一色の空に、山のシルエットが鮮やかに浮かび上がった。
 西宮市中部に広がる甲山(309メートル)。太古の昔は火山だった。今の姿は噴火時とは異なる。西宮市史によると、山は長い歳月をかけて多くが削り取られ、マグマの通り道が丘のように残ったという。
 その後一帯には海が広がった。甲山は小島のように浮かんでいたといい、登山道に海岸線の跡が残っている。
 朝日に浮かぶ山の姿に目をこらす。すそ野へと続く線がやわらかく美しい。悠久の時がじっくりと刻んだ証のようだ。

(神戸新聞朝刊から)

 こんちにはド・ローカルです。上記写真は西宮市鷲林寺の西宮甲山高校からの甲山の姿です。神戸新聞阪神総局に勤務していた頃、この場所から眺める甲山が大好きでした。
 兵庫の山と言えば、「六甲山」がメジャー過ぎて、阪神地域の山々があまり目立たないのですが、美しく、荒々しく、そしてユニークな山がたくさんあるんです。今回は私のイチオシの山々を紹介します。

〝造形美〟にうっとり 芦屋ロックガーデン

芦屋ロックガーデン

 登山口を出発して約1時間。急傾斜の岩場を越えて尾根から少し下ると、水墨画のような奇岩が現れた。万物相と呼ばれる岩場だ。花崗岩(かこうがん)が長年の風雨で削り取られ、階段状に連なる。名前の通り、見る場所によってさまざまな〝表情〟を見せる。
 木々の緑の中に岩場が連なる「芦屋ロックガーデン」。芦屋市西部の高座川上流、神戸市東灘区との境近くに広がる。日本の近代登山はこの地から始まった。
 名付けの親は日本に先進の登山技術を伝えた藤木九三(くぞう)氏(1887―1970)。1924年、日本初の岩登りグループ「ロック・クライミング・クラブ」を結成。それまで珍しかった登山用の綱・ザイルを駆使し、岩場を攻略する技術を仲間とこの山で磨き、多くの登山家を育てた。
 藤木さんも登ったであろう万物相の造形美に見とれる。女性の話し声が静寂に響いた。熟練者にナビゲートされた4人組。水しぶきを浴びながら滝を登り、「やっとの思い」でたどり着いたという。
 神戸市中央区の事務職の女性(40)は「こんな大自然が、おしゃれな街から少し入った場所に残っているのが驚き。今日は久しぶりに『大冒険』を楽しめました」と笑顔を見せた。

(神戸新聞朝刊から)

 ロックガーデンのゴールでもある景勝地、標高447m地点の「風吹岩」から見渡すパノラマの景色は魅力。木々の緑、市街地、海が広がり、開放感は抜群です。登り切るのに体力を使いますが、ご褒美は期待を裏切りません。まだの方はぜひ―。

恋人の聖地 阪神地域最高峰の大野山

猪名川町の大野山をPRする動画の一場面

 猪名川町は、阪神地域の最高峰・大野山(おおやさん)(標高753メートル)にある町の自然体験施設「大野アルプスランド」をPRする動画を作り、町ホームページで公開している。四季折々の豊かな自然のほか、民間団体から「恋人の聖地」に認定されたロマンチックな風景も存分にアピールしている。
 アルプスランドは2019年4月に「プロポーズにふさわしいロマンチックな場所」として恋人の聖地に認定され、二つの指輪が重なったデザインのモニュメントが設けられた。キャンプ場や天文台も人気を集める。町は人を呼び込める施設としてPRを強化しようと、これまで集めた写真を有効活用し、2020年12月に動画を公開した。
 動画は2分44秒で、多彩な写真をBGMとともに流す。指輪のモニュメントが登場後、子どもたちが自然豊かなキャンプ場などで楽しむ様子を紹介。紅葉が鮮やかな秋から、雪化粧をまとった冬、桜が美しい春、アジサイが涼しげな夏と、季節ごとの自然風景も盛り込んだ。ドレス姿で登場する男女は、実際にウエディングフォトを撮りにきた夫婦に協力をお願いして撮影させてもらったという。
 町の担当者は「天文台やキャンプ場個々のPRはしてきたが、アルプスランド全体としては不十分だったので、まとめて魅力を伝えたかった。動画をきっかけにキャンプに来たり、愛を語らったりと楽しんでもらえれば」としている。

(神戸新聞朝刊から)

 大阪市街などを一望でき、美しい夜景が見られる大野山。頂上には猪名川天文台があり、満天の星も楽しめます。

澄んだ空気で、夜は満天の星が見られる猪名川天文台=猪名川町柏原(同町提供)


 朝焼けに染まる甲山(西宮市)、奇岩が荒々しい芦屋ロックガーデン(芦屋市)。そして、ロマンティックな大野山(猪名川町)。これら3山とは趣は異なりますが、ちょっとユニークな〝山〟が尼崎市にありました。

尼崎に日本一低い山? 標高3メートル「菜切山」

尼崎唯一の山と呼ばれる「菜切山」。山らしく撮るのも難しい=尼崎市菜切山町

 海抜ゼロメートル地帯が広がり、地図に表記される「山」が一つもない尼崎市に、日本一低い山がある…厳密には「あった」ことが関係機関への取材で分かった。尼崎市菜切山町の「菜切山」。1966年までは国土地理院の地図に載り、今も消失したわけでもないのに、なぜか表記がなくなった。その標高約3メートルは、10年前に地盤沈下して国内で最も低い山と言われる仙台市の日和山とほぼ並んでいる。

■市内で唯一

 阪神電鉄尼崎センタープール前駅を北に進むと、住宅街の一角に柵で囲まれた雑木林が現れる。「菜切山」。こんもりとした丘状の土地は私有地だが、市が貴重な緑地帯として手入れしている。
 そばの看板には「武内宿禰(たけのうちすくね)の墳墓として古来地区住民に畏敬されて来た」とある。古事記や日本書紀に登場し、景行天皇に始まって5代の天皇に約250年間も仕えたという怪物的な伝説上の人物だ。山は彼の墳丘という位置付けらしい。
 古代から海が陸地化してできた尼崎市域はほとんどが海抜ゼロメートル地帯で、最も高い場所でも北部・西昆陽1丁目の13メートルしかない。そんな中にあって菜切山は市域で唯一の山と地元で言い伝えられ、国土地理院の測量記録はないものの、市は標高を「3メートルほど」としている。

■国に統計なく

 国土地理院によると、菜切山は少なくとも1961~66年には地図上に表記していた。図書館で調べると29年にも「菜切山」と記されている。
 実は山の定義はなく、国土地理院が自治体の申請を受け、歴史的な伝承や資料から山で「妥当」と判断すれば地図上に表記する。
 ただ、低い山の統計はなく、「日本一」は地図を読み取った民間の調査しかない。報道では1番が東日本大震災の影響で低くなった仙台市の日和山(標高3メートル)で、2番は大阪市の天保山(同4・5メートル)として取り上げられることが多い。
 そこで国土地理院に情報公開請求すると、尼崎市は確かに1961年に「菜切山古墳」として地名申請していた。しかし、5年後に消えたのはなぜか。

(神戸新聞朝刊から)
1929(昭和4)年の国土地理院の地図には「菜切山」がきちんと表記される

■観光資源化は?

  国土地理院に聞くと、地図の地名表記には優先順位があるという。表記情報の多い住宅地で「菜切山」の文字を入れると、他の情報を消さなければならない。
 ある年に抹消した場合でも、再び地名申請があれば翌年から表記することもあるというわけだ。しかし、1966年を境に市からの申請は途絶えた。
 原因の一つには「墳墓」としての根拠の乏しさがあるようだ。伝承は武内宿禰が尼崎ゆかりの神功皇后に仕えたことが由縁になっているが、そもそも伝説上の人物で、墓と伝わる場所は奈良県御所市をはじめ全国に複数あるという。
 さらに尼崎市立歴史博物館が指摘する。「古墳時代に、ここはまだ海なんですよ」。つまり、伝承はあっても、近年の調査研究で古墳と定義できない以上、申請には積極的になれないということかもしれない。
 尼崎市都市計画課は「申請しなくなった経緯の記録もなければ、地元からの要請もない」として今後も特に申請予定はないという。

(神戸新聞朝刊から)


 全国では「低い山」を観光資源にする自治体も多くあります。大阪市の天保山も1990年代に地図から抹消されましたが、住民の署名活動の結果、1996年に復活。地元住民が「登山証明書」を発行するなど遊び心あふれる取り組みを展開しています。
 「菜切山」の標高は低くても、観光地化への機運は高くなってもいいのでは? と感じずにはいられません。

〈国土地理院地図に表記されている国内の低山〉

1位 日和山(宮城県)約3メートル
2位 天保山(大阪府)約4.5メートル
3位 弁天山(徳島県)約6メートル
4位 蘇鉄山(大阪府)約7メートル
※大潟富士(秋田県)は0メートルで、周りの土地が低くて比高が約3.8メートル
※弁天山以外は人工の山

<ド・ローカル>
 1993年入社。入社2年目で阪神・淡路大震災に遭遇しました。当時、阪神総局に応援に駆けつけた私は、一時、甲山の近くの建物に住み込み、震災取材を続けていました。家を出ると目の前には朝焼けと甲山のシルエット。27年経過してもその光景を思い出すことがあります。

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