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ビーチサンダル、クリスマス飾りに鉄筋校舎も。意外と知られていない神戸発のもの

港を通じて世界に開かれた神戸は、海外の文化が最初に上陸したことでも知られています。コーヒー、ゴルフ、映画、ジャズ、洋菓子などが神戸発祥とされていますが、それだけではありません。意外と知られていない神戸発のものを播州人3号が集めました。

ビーチサンダル発祥の地PRへ
長田区とメーカー協定

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 世界で初めてビーチサンダルが製造された「ビーサン発祥の地」としてまちをPRしようと、長田区は、唯一の国産メーカー「TSUKUMO(ツクモ)」(東京)と事業連携協定を結んだ。同社は、阪神・淡路大震災がきっかけで途絶えた区内での製造を、約20年ぶりに復活させたことでも知られる。協定の取り組み第1弾として、区内の障害者に商品の図柄を募るデザインコンテストを開く。
 区によると、長田では明治後期からゴム工業が盛んで、1950年代に同区菅原通の工場で世界初のビーサンが生産されたという。その後の海水浴ブームも手伝って、手掛ける企業が増え、62年には日本から1億足以上が海外輸出されるまでになった。
 しかしレジャーの多様化や、人件費削減のため生産拠点の海外移転で出荷量は減少。さらに95年の震災が追い打ちを掛け、区内での製造は途絶えていた。
 震災から約10年後、海外製のビーサンを扱う企業に勤めていた中島広行さん(48)は、長田での製造再開を模索し始め、2013年にTSUKUMOを起業。同区など県内の協力会社10社と国産品を復活させた。
 こうした経緯もあり、区は同社と協定を締結。発祥地としての知名度向上や、コロナ禍で打撃を受けたものづくりの現場の活性化を狙う。
 最初の事業は、在学・在勤・通所を含めた区内の障害者を対象にしたデザインコンテスト。寄せられた作品は投票などで3点に絞り、商品化する。区まちづくり課にメールや郵送で応募。4月16日締め切り。
 また、ネット上で寄付を集めるクラウドファンディングを取り入れ、地元の抽象画家がデザインするオリジナル商品も企画。寄付協力者には、商品を贈る。
 このほど市役所で会見があり、ビーサン姿で出席した中島さんは「リゾートで履くイメージから、タウンユース(市街地での利用)もできると伝えたい」。増田匡区長は「年齢、性別問わず、おそらく誰もが一足は持っている」と述べ、ビーサンを通じたまちの盛り上がりに期待した。

 (2021年3月23日付朝刊より)

コンテストの結果はこちら

40年ほど前の播州の小学生たちは海水浴やプールのときだけでなく、普段の外出にもビーチサンダルを履いていました。
下ろしたては鼻緒の当たる部分が擦れて足の指の皮がむけたり、古いものは鼻緒が突然切れたりしました。キックベース(ボール)の打席に立つ際は相当の痛みを覚悟し、川に入るときは浮力で脱げないよう工夫しました。

焼きそばとご飯を混ぜた「そばめし」も同じ神戸市長田区が発祥の地とされているのをご存じですか。実は、ビーサンとも深い関わりがあります。

そばめしは時間を惜しんで働く労働者らの要望をきっかけに神戸の下町のお好み焼き店で生まれたとされています。電子レンジがなかった時代、家から持参した冷めたご飯を温める工夫だったようです。

当時のお好み焼き店には、終戦直後から長田区内に増えたケミカルシューズ工場の客も多く、そばとご飯を混ぜることを提案したのもケミカルシューズ工場の関係者だったとされています。

続いては聖夜を祝うツリーの飾りです。こちらも神戸が発祥です。

クリスマス雑貨 いまも残る専門の商社

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 オーナメントが輝くツリーにリース、スノードーム…。聖夜には欠かせない華やかなクリスマス用品は、実は神戸発祥の地場産業だ。1890年代、居留地の外国人の求めに応じて、薄く削った木材を材料に「経木モール」を製造したのが始まりといわれる。1917(大正6)年創業の「南貿易」(磯上通8)は、今も残る数少ない専門商社。居留地の近くから、夢のある品を届けている。
 創業者は、〝モール王〟と称された南信繁氏。大正期に対米輸出が本格化し、サンタクロースの人形やガラス玉のオーナメントに製品が多様化する中、モールに特化した。
 転機は昭和初期。米シカゴからの大量注文を機に、柏原町(現丹波市)で盛んに生産されていた経木を織り上げ、染色加工する工程を機械化。同社によると、2本の綿糸を使った機械織りは画期的で、同社の輸出量は手作業時代の3倍の150万反に達した。量産体制を確立した信繁氏は「海外で毎年開かれる商談会にも出向いていた」という。
 神戸には多数の家内工業のメーカーが集まり、海外から貿易業者が進出。戦後はプラスチックなどを素材に種類やデザイン性も豊かさを増し、ミナトの発展に貢献する重要な輸出産業となった。
 ところが、70年代にオイルショックや円高不況が業界を襲い、人件費が高騰。台湾や中国に生産拠点が移り、輸出モデルからの脱却を迫られるようになる。
 「何もかもゼロからの挑戦で苦しかった」。86年入社で営業・企画部門を担ってきた4代目社長南次郎(58)さんはそう回想する。
 当時、国内での需要といえば、ファミリー向けのツリーくらい。南さんは東京で集中的に展示会を催し、東急ハンズなど生活雑貨量販店や食品メーカー、ディスプレー業界などを開拓、軌道に乗せた。現在は、中国や東南アジアの工場で生産される、日本市場向け商品を手広く扱う。
 本社フロアのショールームには毎年2~5月、東京を中心とする顧客が連日のように訪れる。今年はコロナ禍で対面営業が激減し「商品の本来の色合いが伝わりにくい」という苦境にも見舞われたが、サンプルの送付やオンライン商談などでカバーした。
 出荷のピークの8~11月を過ぎても、約2500種類の商品が並び、きらびやかさに心が弾む。南さんは「秋以降は『家ナカ需要』も好調。家族や大切な人との特別な時間に、彩りを与えられれば」と話している。

▼関連企業、神戸周辺でかつて300社

 「日本クリスマス・イースター雑貨協同組合」(現・日本クリスマス工業会)が神戸で設立されたのは、1951年。神戸周辺で約300社に上った関連企業は激減したが、ネット販売を強化する中城産業(姫路市)など数社が今も県内に拠点を置く。
 手作りのリースや卓上ツリーを手掛ける大前(須磨区)の大前貴司・専務取締役(37)は「クリスマス一本で生き残ってこられたのも、輸入品にはない技術があったから。まさに神戸の伝統で、次代へ残していきたい」と話す。

 (2020年12月23日付朝刊より)

気にしたことはありませんでしたが、ツリーの製造元を見れば意外と神戸産だったりするかもしれませんね。

最後は鉄筋の学び舎です。こちらも神戸発祥とは、ほぼ知られていないのではないでしょうか。

 鉄筋コンクリート製、市内現役最古
神戸モダンの校舎に別れ
春日野小、20年度工事着手
専門家「文化財、残す価値」

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 神戸市内の小学校で現役最古とされる春日野小学校(神戸市中央区)の鉄筋コンクリート校舎が建て替えられる。1932(昭和7)年完成で、モダンなデザインから当時の建築誌に「近代小学校建築の先端を行く」と評された。「文化財として残す価値があり残念」と建築史の専門家からも惜しむ声が上がっている。

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幾何学的装飾が施された階段の親柱。扉の上の欄間のデザインはF・L・ライトの影響が指摘される=神戸市立春日野小学校
 春日野小は、16(大正5)年設立の旧筒井小から校舎を引き継ぎ、48年に3校が合併して発足。校舎は95年の阪神・淡路大震災にも耐えて避難所となり、復旧工事を経て本館として使用されてきた。
 3階建てで、中廊下式の教室の最上階に講堂を配するのは当時の定形化されたプランで、設計者は特定されていないが「外観に新しさがみられる」と、小学校建築を長年研究する川島智生・京都華頂大教授(61)=同市東灘区=は指摘する。
 校舎正面に狭い間隔で並ぶ柱はリズミカルな印象を与え、玄関の縦長の開口部や3連窓は垂直性を強調。ひさし下に照明器具を置いていた台(持ち送り)などに、高砂産の竜山石をふんだんに使用する。
 階段の親柱に施されたアールデコ調の幾何学的意匠、階段室に設けられたスパニッシュ様式の八角星形の窓など、「いろんな要素を日本風に翻訳したモダンデザインで、日本人に受け入れやすい」と川島教授は評価する。
 しかし、老朽化に加えバリアフリー化などの課題を抱えていることから、同市教育委員会は建て替えを決定。2020年度の工事着手、24年ごろの完成を予定している。
 川島教授によると、同小を除くと、神戸市内に現存する戦前の鉄筋コンクリート校舎は、旧二葉小(長田区、現ふたば学舎)と旧北野小(中央区、現北野工房のまち)のみ。国内でも現役の校舎は十数校しかないという。
 春日野小の改築では、歴史の継承に配慮したデザインを市教委が設計事務所に求めており、資料の保存・展示も検討するという。
 川島教授は「特徴的な部材をできるだけ残し、解体前には見学会を開いてほしい」と話している。

▼神戸発祥、先進的な小学校

 「神戸発祥」は数々あれど、鉄筋コンクリートの校舎もその一つとは、あまり知られていない。鉄筋コンクリート化は一般的に1923(大正12)年の関東大震災以降とされるが、神戸市ではそれ以前に19校が完成。「世界的に見ても早い時期で先進性は明らか」と、「近代神戸の小学校建築史」(関西学院大学出版会)を著した川島智生・京都華頂大教授は強調する。
 日本最初の鉄筋コンクリートの小学校は、20年設立の須佐小(現明親小、神戸市兵庫区)で、同年に雲中小(同市中央区)も完成。川島教授によると、戦前に神戸市内で建てられた計74校のうち、95年の時点では25校が残っており、本山第二小(同市東灘区)のほかは阪神・淡路大震災にも耐えたという。
 神戸には米の鋼材メーカー支社があり、校舎の設計も担っていた点に川島教授は注目。防火や耐久性の面から導入が進んだとみる。
 また、御影公会堂などを設計した清水栄二(1895~1964年)の存在も指摘。清水ら神戸市営繕課の建築技術者が、講堂を最上階に置いて狭い敷地を有効に活用する神戸独特のプランを生み、堂々としたデザインの校舎を試みたとする。
 「地域に密着した小学校舎こそ近代建築の主流ともいえる」と川島教授。著書では発掘した図面や古写真を交え、未開拓だった建築史の分野に光を当てている。

(2019年5月24日夕刊より)

この話題には後日談があります。
記事の掲載を機に校舎の保存を求める声が強まり、建て替えから一転、保存活用することが決まりました。

<播州人3号>
1997年入社。数ある神戸発祥の中から、周りに尋ねて知られていなかったものを中心に選びました。候補には日本のバレンタインデーや豚まん、生協(生活協同組合)なども。何かと神戸っこと張り合う播州人ですが、「発祥もん」では歯が立ちません。

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