村上春樹、山崎豊子、小川洋子…。多くの文豪が愛した西宮、芦屋を歩く
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村上春樹、山崎豊子、小川洋子…。多くの文豪が愛した西宮、芦屋を歩く

   こんちにちはド・ローカルです。
   すっかり秋めいてきました。文学の秋。ノーベルの秋です。今回は「文学」を切り口に、多くの文豪たちが愛し、居住してきた西宮、芦屋の街を紹介したいと思います。
   この時期、毎年のようにノーベル文学賞候補に名前が挙がる村上春樹のデビュー作の舞台は芦屋でした。「細雪」の谷崎潤一郎、「砂の城」の遠藤周作、「火垂(ほたる)の墓」の野坂昭如のほか、山崎豊子、小川洋子、宮本輝など、数多くの著名作家たちが西宮、芦屋を小説の舞台として描いてきました。文化や建築、街並みは〝名作〟と呼ばれる文学作品の中に溶け込み、国内外に発信されてきました。
    文豪たちが描いた物語の舞台、西宮、芦屋を歩いてみました。
(作家名敬称略)

村上春樹 デビュー作舞台は芦屋

村上春樹P1

 海から山に向かって伸びた惨めなほど細長い街だ。川とテニス・コート、ゴルフ・コース、ずらりと並んだ広い屋敷、壁そして壁、幾つかの小綺麗(こぎれい)なレストラン、ブティック、古い図書館、月見草の繁(しげ)った野原、猿の檻(おり)のある公園、街はいつも同じだった。    (講談社文庫「風の歌を聴け」) 写真は芦屋の街並み
       高校まで過ごした芦屋の街並みを、村上春樹は1979年のデビュー作「風の歌を聴け」で、こう表現する。
 村上作品では定番となっている、一人称で語る主人公「僕」が、車であてどなく街を回るシーンだ。少し高い場所から芦屋を眺めると、その情景のいくつかはすぐに見つけることができる。
 彼の小説やエッセーには、至る所に阪神間の実在の場所と分かる描写が刻まれる。その一部を、村上作品に詳しい西宮芦屋研究所の小西功治さんと巡った。
 冒頭のシーンの後、「僕」は芦屋川河口近くに車を止め、テニスをする女の子を眺める。そんな河口を村上は短編「カンガルー日和」で「わずか50メートルの海岸線」と書いた。
 「彼は早稲田大学に進学した後、帰省するたびに埋め立てられていく芦屋の海を見て、喪失感を抱えたようだ」(小西さん)。
 冒頭文に登場する「古い図書館」は、ツタに覆われた芦屋市立図書館(現在・打出分室)。「猿の檻のある公園」は、その横にある打出公園(同市打出小槌町)で、今は檻だけが静かにたたずむ。
 海沿いの臨港線を芦屋から西宮に入る。村上が通った香櫨園小学校近くにかかる古い石の橋「葭原(あしはら)橋」。橋の真ん中に立ち、北をのぞむと、夙川沿いの松や桜並木の果てに、甲山が鎮座する。エッセイ集「ランゲルハンス島の午後」でもこの情景が紹介されている。
 村上が少年時代、「すばらしい遊び場」と称した西宮神社(西宮市社家町)に足を伸ばす。境内の池で友人とエビ釣りに興じ、深い森の中で遊んだという。
 深い森は、小説「海辺のカフカ」に登場し、「辺境・近境」では「ただ境内の深い森だけが、僕の記憶にある昔の姿と変わることなく、時間を超えてひっそりと暗く、そこにある」と記す。「阪神・淡路大震災直後、阪神西宮駅からここまで歩いたことも、エッセーに書いている」と小西さん。
 震災の傷が残る〝故郷〟を、村上はどんな思いで見つめたのだろうか。

(2015年7月8日付朝刊から)

    村上春樹は生まれてすぐ、京都市から西宮市に転居。香櫨園小学校を卒業後、芦屋市に移り、精道中、神戸高校に進学しました。「ノルウェイの森」「海辺のカフカ」「1Q84」などヒット作を連発し、2006年、フランツ・カフカ賞を受賞して以降、毎年ノーベル文学賞の有力候補に挙がります。その原点となったのが群像新人文学賞に輝いたデビュー作「風の歌を聴け」でした。


谷崎の美学が凝縮された「細雪」

谷崎細雪

奥畑はひとりニコニコして、そうだったか、この近所に来てなさるのんか、そんなら一遍僕所(いっぺんぼくとこ)へ遊びに来給(きたま)え、僕所はあのガードを越えたじきそこです、―と云(い)いながら、そのマンボウの入口を指して、―君、一本松知ってなさるやろ、僕所はあの一本松の傍やよってに、じき分ります、
(中央公論、「細雪」下巻)    写真は芦屋市内にある細雪の石碑
 すぐ南を走る国道2号の喧噪(けんそう)が、嘘(うそ)のような静けさが広がった。JR神戸線西宮―さくら夙川駅間の高架下にある「マンボウトンネル」(西宮市平松町)。明治初期に農業用水路として作られ、後に歩行者用通路に転用された。長さ22メートル、天井まではわずか1・7メートル。レンガ造りのアーチ形の装いが近代化遺産の風格を今に伝える。
 戦前の芦屋、西宮を舞台に、大阪・船場の上流階級4姉妹の華やかな日常を描いた谷崎潤一郎の長編小説「細雪(ささめゆき)」(1943~48年)に幾度も登場するマンボウトンネル。その語源は諸説あるが、炭鉱の坑道を指す「間歩(まんぼ)」に由来する説が有力だ。トンネルを抜け、北へ数分歩くと、冒頭文の「一本松」(同市常磐町)が、閑静な住宅街で異彩を放っていた。
 23年の関東大震災以降、21年間、関西に居を構えた谷崎は、細雪のモデルとされる4姉妹の次女松子と3度目の結婚をし、芦屋市内の「打出(うちで)の家」(同市宮川町)で暮らした。細雪が書かれたのは芦屋を離れてからだが、3巻にわたる作品では、38年の阪神大水害で氾濫した芦屋川の様子も記述されており、阪急芦屋川駅北東の川沿いに設置された「細雪」(松子書)の文学碑は、大水害時に流されてきた巨石と言われている。ほかにも同駅北西の商店街にあるレトロな外観の「重信医院」(同市西山町)は、小説上、姉妹のかかりつけ医「櫛田(くしだ)医院」として書かれている。
 芦屋川を下り、国道43号の南にある「谷崎潤一郎記念館」(同市伊勢町)へ。88年に松子の意向で芦屋市に建設された。関西在住中、細雪のほか、「卍(まんじ)」「蓼食(たでく)ふ蟲(むし)」「盲目物語」「春琴抄(しゅんきんしょう)」「蘆刈(あしかり)」など数々の名作を生み出した谷崎。同館には約1万2千点の遺品が所蔵されており、再現された書斎の窓越しから、関西で最後に暮らした「京都潺湲亭(せんかんてい)」をモチーフに作られた庭が見渡せる。
 「細雪は谷崎の美学が凝縮された代表作」と学芸員の永井敦子さん。2014年11月、谷崎が松子やその妹重子と交わした未公開書簡288通が見つかり、円熟期の作品群と現実の恋愛や生活との関連を解き明かす貴重な資料として注目される。15年で没後50年。通俗性や芸術性を融合させた純文学の秀作は半世紀を経て、さらに輝きを増す。

(2015年7月9日朝刊から)

 関東大震災(1923年)で関西に逃れた谷崎潤一郎は、35年に3度目の結婚をしました。妻松子と暮らした「打出の家」(芦屋市宮川町)は今も残っています。代表作「細雪」は松子一家がモデルとされ、38年の阪神大水害で荒れる芦屋川や西宮市のマンボウトンネルなどが登場します。芦屋にある記念館には約1万2千点の遺品が所蔵されています。


信仰とは何か 遠藤周作 問いの原点

遠藤周作P

 神父さん、あなたはむかし、ぼくをなにもわからぬ無邪気な少年だと思い込まれていました(中略)教会の小さな告解(こっかい)室で、どもりながら罪を告白したあの頃のぼくを思い出して下さい。罪というものがなにかぼくにはわからなかった。わからなかったと言うよりは、罪の感覚がぼくにはなかったようです。                         (新潮文庫「黄色い人」)      写真はカトリック夙川教会
 ステンドグラスから差し込む光と、全国最古と言われるカリヨンの音色が、荘厳な雰囲気の聖堂「カトリック夙川教会」(西宮市霞町)を優しく包む。10歳のころ、満州から引き揚げた遠藤周作は、小、中学校時代をこの教会近くで過ごし、12歳の時、洗礼を受けた。
 信仰とは何か。日本人でありながら、西洋発祥のキリスト教徒である矛盾。遠藤にとって終生のテーマとなった信仰への苦悩や葛藤は、初期の作品「黄色い人」につづられている。
 舞台となったのは、戦時中の西宮・仁川地区。主人公の日本人青年は信仰心を持てないクリスチャン。東京の医学部に進んだが、肺病にかかり、死を強く意識しながら生まれ故郷の仁川に戻ってくる。清廉潔白な生き方をするフランス人神父、そして、信仰心を持ちながら、女性と関係を持ち、教会を追放されたフランス人元神父の三者三様の生き方が描かれ、信仰とは何かを問い掛ける作品。青年が通った天主公教会は小説上、仁川の設定だが、遠藤が少年のころ通った夙川教会がモデルとなっている。
 「遠藤さんは子どものころ、勝手に教会の鐘を鳴らして叱られたこともあるそうです」。同教会の事務所の女性がおかしそうにほほえんだ。
 遠藤はエッセー「夙川の教会」で「少年時代の私の心の風景はほとんどこの夙川の天主公教会に結びついている」と触れる一方で、「私の虚栄心や感傷やきたならしさも、この教会に結びついている。そのためであろう、私は今でもあの教会をふたたび訪れることがこわい気がする」と打ち明けている。
 多感な青少年時代を過ごした西宮や芦屋は、小説「口笛をふく時」「砂の城」などの舞台にもなった。「黄色い人」では、仁川の風景を「日本の土地にありながら、にせの異国風景をいかにも小賢(ざか)しく作りあげた」と表現。「黄色人のくせに、母や叔母の手によって、貴方の教会の洗礼をうけさせられた自分にそっくりでした」と続ける。
 遠藤文学に詳しい西宮芦屋研究所の蓮沼純一さんは「遠藤にとって、甘く、苦い思い出が詰まった土地。離れようにも、離れがたかったのでしょう」と語る。神と向き合った原点の場所。夕日に染まり始めた甲山が、教会を見守るように鎮座していた。

(2015年7月10日朝刊から)

     遠藤周作がカトリック夙川教会で洗礼を受けたのは、灘中学校(現灘高校)に入学後の12歳の時でした。多感な青少年時代を過ごした西宮市は、エッセー「心のふるさと」などで何度も語られており、「口笛を吹く時」や「砂の城」などの小説の舞台ともなりました。戦時中の仁川周辺を描いた「黄色い人」は32歳の時の作品です。


野坂昭如 「火垂の墓」の舞台とは

ニテコ池・野坂昭如

 二人壕(ごう)で暮すとたちまちわかったが、誰もあらわれず、枯木を拾って米を炊き、塩気が足りぬと海水を汲(く)み、道すがらP五一に狙われたりしたが、平穏な日々、夜は蛍に見守られ、壕の明け暮れにはなれたが、清太両手の指の間に湿疹(しっしん)ができ、節子また次第におとろえた。
(新潮文庫「火垂るの墓」) 写真は小説の舞台になった西宮市のニテコ池
 太平洋戦争末期、神戸空襲で母を亡くし、西宮市の親戚宅に身を寄せた中学3年の兄・清太と4歳の妹・節子。疎ましがられ、耐え切れず家を飛び出してニテコ池(同市満池谷町)の防空壕(ぼうくうごう)に住み始めた。節子は間もなく栄養失調で死を迎える。冒頭文は、つかの間だが、2人の安住の地となった防空壕の描写だ。
 野坂昭如(あきゆき)が1967年に発表し、直木賞を受賞した短編小説「火垂(ほた)るの墓」。88年にはアニメ映画化された。
 「ニテコ池に今も残る独特の形をした給水塔が、ホタルの光で浮かび上がる場面が、アニメにも登場しました」。毎年、小説ゆかりの地を歩くイベント「火垂るの墓を歩く会」でナビゲーターを務める元県立高校長の正岡茂明さんは説明する。ホタルが飛び交う中、亡くなった節子を清太が火葬するシーンも、近くの崖地をモチーフにしたという。
 「神戸、阪神間での野坂の戦争体験をモデルにしていますが、実際の妹はもっと小さく、西宮から福井に移ってから亡くなりました。だから、実際はこのあたりで火葬はされていません」
                ◇
 ニテコ池をやや南に歩くと、東西100メートル足らずの谷あいに住宅街が広がる。かつて野坂が身を寄せた親戚の家があった場所だ。正岡さんは「実際は、小説ほど意地悪でもなかったようです。家を出る話の流れで、そうなったのでは」と推測する。
 夙川沿いを河口まで下り、香櫨園浜へ。清太はここで、あせものひどい節子の体を海水で洗ってやる。浜沿いには西宮回生病院(同市大浜町)。母の状況を知らない節子を安心させようと、母は回生病院に入院している、と清太が語り掛ける場面の記述もある。
 昭和初期のレトロな入り口や車寄せが残る同院の正面玄関などは、老朽化で数年前に取り壊された。
 「火垂るの墓の舞台が消えていくのはいたたまれない」と正岡さん。戦前の記憶を刻む建物の消滅は、小説の描く戦争の実感をもどんどん遠ざけていく

(2015年7月11日朝刊から)

 1930年生まれの野坂昭如は、コラムニストとして活躍し、67年に占領下の世相を表した「アメリカひじき」、戦争や空襲、焼け跡の体験を描いた「火垂るの墓」を発表。翌年、この両作品で直木賞を受賞しました。「火垂るの墓」は、神戸空襲で母を亡くした兄妹が、西宮の親類宅に身を寄せ、その後悲劇的な結末を迎える物語です。野坂自身も神戸空襲の後、一時西宮の親類に預けられており、その実体験がモデルとなっています。


 この4人のほかにも、阪神間には多くの著名作家が居住し、作品の舞台として描いてきました。山崎豊子、小川洋子、有川浩、宮本輝、谷川流(ながる)の代表作を紹介します。


▼山崎豊子 「白い巨塔」の主人公が居を構えた西宮・夙川

山崎豊子 白い巨塔の舞台となった夙川の街並み

 国立大医学部を舞台に、医学界の腐敗にメスを入れた社会派小説「白い巨塔」。主人公の財前五郎の居宅は西宮・夙川=写真=。「庭園燈(とう)に照らされた250坪ほどの庭―(中略)―国立大学の助教授の家としては、贅沢(ぜいたく)な住いだった」と描いています。神戸銀行(現三井住友銀行)をモデルにしているとされる経済小説「華麗なる一族」では頭取の万表邸は芦屋の山手にあり、1万坪に及ぶ大豪邸だったと書かれています。

▼小川洋子 芦屋の洋菓子店「アンリ・シャルパンティエ」

ミーナの行進

 西宮市に住む芥川賞作家小川洋子の「ミーナの行進」は芦屋市が舞台。主人公といとこのミーナらが暮らす洋館は山の手にあり、2人が通った小中学校は山手小、山手中がモデルとされる。あこがれの伯父と入った「阪神芦屋駅のすぐ近くにある、Aという名の洋菓子屋さん」は「アンリ・シャルパンティエ芦屋本店」(芦屋市公光町)で、リキュールを注ぐと、青い炎が立ち上がる「クレープ・シュゼット」=写真=は看板商品だ。

▼有川浩 阪急電車今津線の群像劇

阪急電車 有川浩

 小説「阪急電車」は、「この物語は、そんな阪急電車各線の中でも全国的知名度が低いであろう今津線を主人公とした物語である。」というプロローグから始まります。今津線の宝塚駅から西宮北口駅までの8駅を走るように、それぞれの駅名を章にして群像劇を描き、地元ロケで映画化もされました。有川浩は宝塚市在住。同作を書いた理由を「住んでいる街が好きだ、というシンプルな気持ち」と話しています。

▼宮本輝 「青が散る」に登場した名門テニスクラブ

青が散るの舞台となった香枦園テニスクラブ

 伊丹市在住の宮本輝が1982年に出版し、映画やドラマにもなった小説「青が散る」に香枦(ろ)園テニスクラブ(西宮市大浜町)=写真=が登場します。大阪の新設大学のテニス部に所属する主人公らが、香櫨園駅から夙川の桜並木を歩き、試合会場に向かうシーンの後、「香枦園ローンテニスクラブは、阪神間では最も大きなテニスクラブで、コート数も二十数面あって夏にはインカレの舞台にもなる名門クラブだった」と紹介しています。

▼谷川流 聖地巡礼のファン絶えない時計塔

涼宮ハルヒ 西宮北口の時計台

 西宮市出身の作家谷川流(ながる)が母校の西宮北高校(同市苦楽園二番町)などをモデルにした人気ライトノベル「涼宮ハルヒ」シリーズ(2003年~)。06年のアニメ化以降、〝聖地巡礼〟に訪れるファンが絶えません。中でも主人公キョンらが待ち合わせをする阪急西宮北口駅前の「北口駅前公園」の時計塔=写真=は、09年の公園改修工事の際に一度撤去されました、復活を望むファンの熱い思いに応え、2014年4月、西宮市が再設置しました。


 今回紹介した作品は、文豪たちの一部に過ぎません。大阪のベッドタウンのイメージが強い、西宮、芦屋ですが、実は、「文学の宝庫」とも言っても過言ではない地域なのです。文学の秋、こんな視点で、西宮、芦屋の街歩きをしてみてはどうでしょうか。

<ド・ローカル>
 1993年入社。ノーベル週間が近づく、この時期、神戸新聞では、村上春樹の受賞を想定した予定原稿準備が始まります。この作業が始まってもう何年が経過するのでしょうか? 以前、ハルキストが集まる喫茶店に取材に行ったことがあります。発表直前、なんともいいがたい空気に包まれたのを思い出します。

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兵庫県の地方紙「神戸新聞」です。過去記事の中から、記者らがテーマごとに独自の視点で選び、背景や取材の裏話などとともに紹介します。ゆかりの有名人の逸話や、ほっこりする地域の話題など兵庫の魅力を、毎週水曜正午と土曜午後6時に投稿します。「おもろい」と思われた方、ぜひフォローください