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文太郎が残した足跡。兵庫ゆかりの登山家を追って―

兵庫県出身の登山家に加藤文太郎(1905~36)がいます。同じ但馬出身の冒険家、植村直己(1941~84)にも影響を与えたとされ、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルになったことでも知られます。県内には文太郎ゆかりの地が残るほか、記念の催しなども開かれています。そんな偉大な登山家の足跡を播州人3号がたどります。

文太郎は社会人登山家の第一人者で、大正から昭和初期にかけ、パーティーを組まない「単独行」で数々の山を制しました。
30歳の若さで遭難死しますが、小説のモデルや漫画、音楽の題材にもなって広く知られます。

孤高の登山家 再び脚光
但馬出身、「六甲縦走」で鍛錬
小説、漫画、音楽の題材
「山を愛した姿」に共感


 登山ブームといわれる中、但馬出身の登山家加藤文太郎(1905~36年)が小説や音楽、漫画で取り上げられるなど、各方面から熱い視線を集めている。顕彰活動を続ける地元関係者も「山を純粋に愛した姿が人を引きつけるのだろう」と、再評価の動きを喜んでいる。
 文太郎は兵庫県新温泉町(旧浜坂町)出身で、今の三菱重工業神戸造船所に勤務しながら、冬の日本アルプスの山々を単独で登頂した社会人登山家の第一人者。六甲山を縦走するなど、阪神間の山で鍛錬した。36(昭和11)年に冬の槍ケ岳で遭難死した際には、新聞で「国宝的山の猛者、槍で遭難」と伝えられた。
 登山愛好家の間では遺稿集「単独行」が愛読され、新温泉町にも資料を展示する記念図書館などがある。だが、一般的には新田次郎(12~80年)の小説「孤高の人」のモデルとして知られる程度だった。
 山岳小説などを書く伊丹市出身の作家、谷甲州さん(59)は今年9月、小説「単独行者 新・加藤文太郎伝」(山と渓谷社)を出版した。2008~09年に雑誌連載したものをまとめた。谷さんは「見えを張ることがなく、正直で誠実。いつかは書きたかった人」と執筆の動機を話す。
 また、新田の小説を原案にした漫画「孤高の人」は、07年に「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で連載がスタート。同社広報室によると、今年10月末現在、単行本12巻の総発行部数は計83万1千部に達する。
 文太郎人気は本の中にとどまらない。神戸在住のシンガー・ソングライター、リピート山中さん(50)はこのほど、04年に作った「加藤文太郎の歌」を再収録したアルバムを発売。撮影困難で実現しなかったが、一時は09年公開の映画「劔岳つるぎだけ 点の記」の木村大作監督が次作のモデルにする予定だった。
 また「単独行」を題材にした戯曲が昨年、関西を中心に活動する演劇家に贈られる「OMS戯曲賞」の大賞を受けた。
 地元でも今年5月、住民有志らが顕彰活動を行う「加藤文太郎さんの会」を設立。21日には「加藤文太郎と私」と題した木村監督の講演会を、新温泉町浜坂の浜坂多目的集会施設で開くことにしている。

(2010年11月8日付朝刊より)

記事中にある「山の会」は12年前に結成され、文太郎の顕彰に取り組んでいます。

新温泉町出身 加藤文太郎   
一般人に登山の道開く
業績顕彰へ「山の会」
講演、自然保護など企画

 新温泉町出身の不世出の登山家、加藤文太郎(1905~36年)の業績を顕彰しようと、同町の住民有志が「加藤文太郎さんの会」を結成した。地元の偉人の存在を広く伝えるとともに、まちづくりに生かしていくのが目的で、新たな会員も募集している。
 加藤文太郎は、旧浜坂町(現新温泉町)浜坂生まれ。当時数少なかった社会人登山、単独行の先駆者として活躍し、30歳の時、北アルプス・槍ケ岳で遭難死した。その生きざまや功績からファンも多く、新田次郎の小説「孤高の人」のモデルにもなった。
 新温泉町浜坂地域ではこれまでも住民による顕彰活動が続けられてきた。1994年には、文太郎が使ったスキー板などを展示する資料スペースを備えた加藤文太郎記念図書館がオープン。文太郎にまつわるさまざまなイベントも開かれてきた。
 それでも「町外はもちろん、町民にもまだよく知られていない」と住民有志十数人が一念発起。顕彰活動をさらに充実させようと、5月初めに同会を設立した。広く会員を募集するとともに、学習会や講演会による啓発活動、自然保護運動や登山などを行い、文太郎の存在を町内外にアピールする。
 会長(54)は「まだまだ登山がブルジョアのものだった時代に、一般人にも道を開いた功績は大きく、もっと広く知ってもらえるよう活動していきたい」と話している。

(2010年7月6日付朝刊より)

記事中にもありますが、出身地の新温泉町には文太郎の名を冠した施設があります。

「加藤文太郎記念図書館」です。
北アルプスをイメージした外観で、遺族から寄贈されたゆかりの品々が展示、収蔵されています。

(1993年11月5日付朝刊より)

多くの登山家らが先人の足跡をたどろうとするからでしょうか、ゆかりの地に案内看板が建てられたという記事もありました。

新温泉出身の登山家・加藤文太郎たたえ
墓に案内看板
浜坂の「お宿組合」

 郷土の偉人が眠る墓を案内します―。新温泉町浜坂地域の旅館などでつくる「浜坂温泉お宿組合」が1日、同町浜坂にある同町出身の登山家加藤文太郎(1905~36年)の墓地周辺に、案内表示のための柱や看板を立てる作業を行った。
 加藤文太郎は、1人で北アルプスなど数々の冬山を制覇。単独行や社会人登山家としての先駆的存在で、30歳の時に槍ケ岳で遭難し、命を落とした。
 以来70余年。墓は同町役場のすぐ北側にあるが、墓地が広いため、どこにあるのか分かりにくい状態だった。そこで同組合は今春、郷土が生んだ偉人の墓を広く知ってもらおうと、案内柱などの設置を文太郎のおい(77)に相談し、快諾をもらった。
 同日は組合のメンバーやおいが墓に出向いた。「孤高の人」や「単独行者」と、文太郎を形容する言葉などを記した高さ2メートル50センチの木柱を墓の横に立て、墓地の入り口からも確認できるようになった。また、墓地周辺3カ所に案内板を立てた。
 地元では観光客や登山愛好家らから墓の場所を尋ねられることが多かったといい、同組合の組合長(58)は「浜坂の偉人の墓なのに、場所が分かりにくかった。ご家族や墓地の近隣の方々が協力してくださったおかげで分かりやすくなった」とにっこり。おいの男性も「わたしも場所を聞かれることもあった。うれしいことですね」と話していた。

(2009年7月2日付朝刊より)

こちらの神社は新田次郎の小説で、象徴的な出会いの場として描かれています。

宇都野神社 新温泉町浜坂
隆盛極めた川下祭り

 鳥居をくぐると、ブナやスギの木に囲まれた広大な境内がある。普段は静かなこの宇都野うつの神社を中心とした地域が七月半ば、喧噪けんそうに包まれる。但馬三大祭りの一つ「川下かわすそ祭り」。江戸中期、浜坂地域が豊岡藩から天領となったことをきっかけに隆盛を極めたといわれる例祭だ。
 祭りは3日間。初日の宵宮では、「屋台」と呼ばれる移動式の舞台が巡り、さまざまな演芸が催される。2日目の本祭には、みこしやほこなどが街を練り歩く。そして、県無形文化財に指定される麒麟獅子きりんじし舞の奉納。最終日は神事が営まれる。
 かつて天領になっても、代官所は遠く久美浜(現・京都府京丹後市)の地にあった。監視の目は遠い。祭りのたびに見せ物のほか、賭博でにぎわったとされる。隣接する鳥取県岩美町の町史によると、川下祭りの「不法」に注意を促すお触れが出されたこともあるという。
 そして嘉永2(1849)年。抜き打ちで訪れた代官所の役人が祭りのさまざまな興業を禁止した。楽しみを奪われた住民が怒り、役人を追い返したという。地域の歴史に詳しい浜坂先人記念館の前館長(60)は「浜坂の気質を表した出来事かもしれないな」と笑う。
 境内に入り、しばらく歩くと等身大の麒麟獅子のブロンズ像がある。それを通り過ぎると拝殿や本殿に向かう石段。新田次郎の著作「孤高の人」によると、新温泉町出身の登山家・加藤文太郎(1905~36年)が、後に妻となる女性と出会った場所という。
 今、祭りの準備も最終段階。本祭の日。命を吹き込まれた3頭の麒麟獅子と、みこしがこの石段を下る。宮司(59)は「町内外から今も多くの人が訪れてくれる。ありがたい」。

(2008年7月7日付朝刊より)

文太郎は当時暮らしていた神戸から、ふるさと但馬まで兵庫県を1人で歩いて縦断しました。
そのルートをたすきでつなぐイベントも開催されています。

神戸―浜坂 加藤文太郎ウオーク
雨に耐え 180キロゴール
100人で16区間 「偉大さ分かった」

 新温泉町浜坂出身の登山家加藤文太郎(1905~36年)の足跡をたどろうと、登山家らが神戸―浜坂間を歩いて縦走するリレー・ウオークイベントが13日に閉幕した。地元の顕彰会「加藤文太郎さんの会」のメンバーらがゴール地点の加藤文太郎記念図書館(同町浜坂)に到着。全行程180キロを約10キロずつ16区間に分け、約100人が心を一つにしてたすきをつないだ。
 加藤は、高峰の冬期登山が一般的でなかった1930年代、同行者を伴わずに厳寒の日本アルプスの山々で単独行を成功させた。神戸の三菱内燃機製作所(現三菱重工神戸造船所)に勤務していた19歳のころ、本格的に登山を始め、神戸の自宅から浜坂の生家まで歩いて帰っていた。
 イベントは今年迎えた同図書館開館20年を記念し、同会が企画した。11日に同造船所(神戸市)を出発。三木市や香美町などを経由し、最終日の13日は新温泉町温泉総合支所(同町湯)から同図書館までの12キロを歩いた。
 13日は雨の中、参加者は2時間歩いて昼前にゴール。同町職員らが出迎え、拍手を送ると、笑顔を見せた。道の駅ハチ北(香美町村岡区)から参加した同造船所登山部の男性(41)=神戸市=は「8時間で40キロ歩いた、文太郎の偉大さが分かった」と話した。
 同図書館で開催された閉会式では、同会のメンバーが、同造船所から託された文太郎の人事が記された社報(1932年度)を新温泉町の副町長に手渡した。

(2014年10月15日付朝刊より)

親しんだ兵庫の山脈を文太郎はこう名付けました。
1面コラム「正平調」からです。

日本人は「見立て」が好きな民族といわれる。例えば、日本庭園。白砂を水の流れに、岩を島になぞらえてめでる。もう一つの代表格は山だろう。全国にあまたの富士があり、アルプスがある◆兵庫県にはかつて「兵庫アルプス」があった。浜坂町(現新温泉町)が生んだ登山家加藤文太郎が大正期に名付けた。氷ノ山をはじめ県内1~3位の高峰を含む、鳥取・岡山県境の山脈だ◆加藤はこれらの山を日本アルプスに見立てたが、欧州の高峰への憧れもあったろう。多くが島国を出ることなく生涯を終えた時代、渇望を癒やすように冬の単独登山を開始し、30歳の時に槍ケ岳で遭難死した◆海外旅行が身近になった近年、各地で「ご当地アルプス」がにぎわう。須磨、播磨、新龍(しんりゅう)…。本場への憧れというより、地元の山への愛着だろうか。3月には上郡町に上郡アルプスもデビューした◆命名した大澤敏明さんは、リーマン・ショックで仕事が激減した時、子どもの頃に親しんだ地元の山に目を向けた。荒れた尾根沿いに倒木を切り、岩を除き、32キロの縦走路を整備。今では県内外にファンが増えている◆4月初め、大澤さんの案内で登った。人知れず満開を迎えた山桜の大木群に心を癒やされた。身近な野山なら3密の心配も少ない。

(2020年4月14日付朝刊より)

南北だけではありません。
文太郎には神戸市西部から宝塚市までの六甲山系を縦走した後、そのまま市街地を歩いて神戸の寮まで帰ったという逸話も残されています。
その距離は約100キロ。超人的な持久力です。

文太郎の歩いた六甲山系のうち、須磨の名勝を紹介する投稿はこちら

文太郎の名前は、但馬の地酒の銘柄にもなっていました。

登山家・加藤文太郎にちなんだ銘柄
新温泉に開設の酒蔵
杜氏の里から新酒第1号
米のうま味、気品を追求

 但馬杜氏とうじの里、新温泉町に開設された日本酒の酒蔵で仕込んだ新酒が完成し、16日、製品や銘柄名が発表された。同町出身の登山家加藤文太郎にちなんで酒蔵の社名を「文太郎」に変更。新酒は25日、直売店や同町の道の駅、スーパーなどで発売される。
 京都府京丹後市にあった永雄酒造を元町長の岡本英樹さん(68)が引き継ぎ、所在地を同町用土に移転。今月1日に株式会社とした。杜氏は同町の2人が務める。
 「仕込み時期に気温が高く苦労した」と杜氏。気温が5月下旬並みとなった3月には、発酵が進み過ぎないように大量の氷を買い、もろみに入れて温度を下げたこともあった。
 完成した新酒の銘柄は5種類で計7500リットル、一升瓶(1・8リットル)換算で約4千本。40%精米の山田錦を使って杜氏の2人がそれぞれ2カ月がかりで造った大吟醸「孤高」は杜氏名入りで販売する。百万石の純米大吟醸「文太郎」もある。
 他の3種類は同町産の兵庫北錦を使用した。「いで湯美人」は特別純米酒生酛きもと上撰じょうせんなど。永雄酒造から引き継いだ古酒の純米酒「単独行」と普通酒「文太郎」も販売する。
 杜氏の1人は「米のうま味がしっかり出た濃い味わい」にこだわり、別の杜氏は「気品のある味」を追求したといい、いずれも満足のいく出来に仕上がったという。
 岡本社長は「酒造はゼロからのスタート。杜氏が多く、酒米が栽培されている地の利を得た上、周囲の協力で初めての製品ができた。感慨無量。地域の酒として育てたい」と話している。

(2019年4月17日付朝刊より)

ゆかりの地は文太郎が青年時代を過ごした神戸にもあります。
路地を取り上げた連載の1回です。

文学の薫り(4)新田次郎著「孤高の人」
身近な山、楽しむ暮らし 長田区池田上町

 下宿は池田上町にあった。加藤はその家が山手にあることで第一に気に入った。南面に向いた二階の六畳間だった。
 高取山(標高328メートル)の山頂から南東に約2キロの山すそ。長田区池田上町。坂道が北に延び、幅の狭い石の階段が点在する。南を見下ろすと、眼下に長田区の住宅街が広がる高台だ。
 登山にのめり込みヒマラヤ制覇を夢見た主人公・加藤文太郎は、勤務先の神港造船所の研修所生活を終えて寮を出た後、結婚するまでの10年間を、この町で過ごした。
 加藤のフィールドは日本アルプス。それを踏破するため、下宿先での普段の生活は鍛錬の日々だった。庭での野宿訓練。3日に1度は石を詰めたリュックサックを背負い、下宿と兵庫区の和田岬にある職場を往復する。
 「土曜、日曜日は例外なく神戸の背稜はいりょうの山を歩きまわった」
 その中には、高取山も含まれていた。
 高取山は、住民にとって身近な存在だ。近くの男性(81)も若いころ、よく登った。朝に出発して昼前に帰ってくる。「山頂で神戸の街を眺めるのが好きだった」と語る。
 町内にある池田国民学校(現・池田小学校)に通っていたころ、富山県出身の先生がいた。立山のすばらしさを語るのに影響され、立山登山にも挑戦した。加藤が感じていたように、男性も「荘厳な景色に心を奪われた」という。
 町内には小さな丘がある。観音山公園。頂上の広場から、高取山や神戸の街並みを望める。毎朝6時半、地域のお年寄り約50人がラジオ体操で軽く汗を流す。
 公園の隣に住む男性(80)は50年以上前、淡路島から移り住んだ。「昔から住んでいる人が多かったが、温かく迎え入れてくれた」と振り返る。「初日の出を見に孫と高取山によく登った」と語り「健康のために登山する人は多い」と話した。
 加藤が気に入った山手の高台。山が身近にある暮らしを、今も楽しむ人がいる。

(2010年5月4日付朝刊より)

<播州人3号>
1997年入社。加藤文太郎を取り上げた小説に新田次郎の「孤高の人」と谷甲州の「単独行者」があります。同じ人物をモデルとしながら読んだ印象は大きく異なります。ともに分厚い本ですが、ぐいぐいと引き込まれ、実際には1歩も歩いてないのに、冬山の頂に立ったような気分になります。

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