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芦屋~神戸山の手 〝日本一の富豪村〟 

 「東の田園調布(東京)、西の六麓荘(ろくろくそう)町(芦屋市)」。言わずもがな、日本屈指の高級住宅地で、何百、何千坪の敷地を誇る豪邸が数多く並んでいます。高級車2、3台は当たり前、町には景観を守るために「豪邸条例」ならぬものまで存在します。
 こんにちはド・ローカルです。今回の投稿は芦屋~神戸の山の手に広がる高級住宅地をご紹介したいと思います。残念ながら、宝くじで100億円くらい当たらないと、この地に住宅を手に入れることはできません。ただ、一体、どんな人が、どのような暮らしをしているのか知りたい! 新聞記者の習性として「ふつふつ」と沸いてきます。
 それでは、芦屋から神戸・東灘区、そして関西のビバリーヒルズと呼ばれる高級住宅地3カ所を見ていきましょう。まずは上記写真にある六麓荘町からです。 「Let's 豪邸拝見!」

イメージはヨーロッパの宮殿 芦屋・六麓荘町

広々とした道路に、緑豊かな豪邸。町独自のルールが超高級住宅街をつくり上げてきた=六麓荘町

 玄関に一歩足を踏み入れると、目が覚めんばかりの真っ白な内装。天井には黄金のシャンデリアがきらめく。真っ赤なカーテンを開ければテラスが広がり、眼下に大阪湾や都心の高層ビル群が見渡せる。
 「イメージは、ヨーロッパの宮殿です」。オーナーの会社経営者が邸内を案内してくれた。
 ここは六麓荘。「日本一の高級住宅地」と称される芦屋でも、群を抜いて富裕層が集まる街である。
 王侯貴族さながら、西洋磁器マイセンのティーカップ(24万円)でお茶を飲み、イタリア製のチェア(80万円)でくつろぐ。ホームパーティーにはなじみの板前を呼び、その場で懐石料理を作り、客をもてなす。
 「いやいや、この街にはもっとすごいお金持ちが山ほどいますよ」。会社経営者は事もなげに言う。あまたの富豪をとりこにしてきた街・芦屋。それにはわけがある。
 神戸から車を走らせ、国道2号を左折して芦屋市六麓荘町へ。この南北道、誰が呼んだか「ベンツ通り」。メルセデス・ベンツ、ポルシェ、ロールス・ロイス、ベントレー…。すれ違うのは高級外車ばかり。ハンドルを握る手に力が入る。
 沿道にある「いかりスーパーマーケット芦屋店」。駐車場は7~8割が外車。「運転手付きのお客さまもよくいらっしゃいます」。男性店長には見慣れた光景だ。
 「マグロのちょっと脂が乗った部分を」「サーロインの脂身の少ないのを少しだけ」。電話1本で、店員が好みに合わせて商品をそろえ、自宅まで届けてくれる。「御用聞き」とも呼ばれる宅配サービスの利用は、多い日で1日約40件。1回で数十万円の注文が入ることもある。
 六麓荘町の南西、住宅街の一角に鎮座する芦屋神社。境内には関西財界の社長らが寄進した石柱が400本。高額にもかかわらず年10本のペースで増え続け、場所の確保に苦心するほどだ。「ほかの地域にある同規模の神社なら、寄進は10年に1度あるかないか。やっぱり土地柄でしょうか」と山西康司宮司。

(2018年6月24日付神戸新聞)
六麓荘のロゴマークが入ったマンホールも存在する=芦屋市六麓荘町

 高級住宅地のイメージが定着した芦屋も、明治期までは農村だった。御影(神戸市東灘区)などに始まる神戸・阪神間の「郊外住宅地」ブームは、1905(明治38)年の阪神など鉄道の開通と沿線開発により、山と海が近く自然豊かな芦屋にも広がっていく。
 「特徴的なのは、大正から昭和初期に土地耕地整理事業を進めて田畑を売り、自らが住宅都市として生きる道を選んだこと」。芦屋市教育委員会生涯学習課の竹村忠洋さんが指摘する。
 1921(大正10)年の武庫郡誌は、精道村(現芦屋市)について「紳士富豪の別荘住宅を構ふるもの多く、土着者都人士(とじんし)の風を眞似(まね)」「全然純農時代の趣を失ひ」(抜粋)と記す。竹村さんは「大阪や神戸の都心などから富豪が移り住み、人口が急増した。土地を売った元々の住民も豊かになり、豪華な暮らしぶりが話題になっていたのでしょう」とみる。

(2018年6月24日付神戸新聞)
六麓荘町の宅地が売り出された当時のパンフレット

 高級住宅地のイメージを決定づけたのが、1929(昭和4)年から本格化した、「東洋一の健康地」を掲げた六麓荘町の開発だった。
 町内の大半のエリアには、電柱や信号がない。街灯越しに見える空は広く、高い。巨大な石積みや意匠を凝らした大邸宅に目を奪われる。現在、約270世帯が暮らすが、コンビニなどの商業施設は一切ない。「超」のつく資産家の街の景観と暮らしは、住民自らが守ってきた。
 町内会は入会金50万円。独自基準の建築協定がある。建てられるのは最低敷地面積400平方メートル、緑地率30~40%以上の一戸建てのみ。建築前には近隣住民を集めて説明会を開く。〝紳士協定〟のため、最低敷地面積など一部は市が条例化した。
 芦屋不動産代表取締役の深見恵子さんは「六麓荘は今も超富裕層にとっての憧れの地。住むことがステータスになり、時代ごとに勢いのある業種の社長らが土地を買い求める」と話す。バブル期の地価は坪700万円まで上昇。今は100万円前後に落ち着いたが、豪邸「トップ10」は絶えず入れ替わるという。
 町内会長の男性は「戦前から住んでいるのは、うちを含めて10軒程度だが、豊かな自然や周囲と調和した街並みをみんなで守っていきたい」と話す。この姿勢こそが乱開発を防ぎ、風格やブランドを保つ原動力となってきた。

(2018年6月24日付神戸新聞社)

 取材を重ねれば重ねるほど、あきらめ感が増すのは私だけでしょうか? 高嶺の花とはよく言ったものです。記事にもあるように、六麓荘町の開発は昭和初期ごろからですが、明治期の鉄道開発に合わせ、西隣の神戸市東灘区の御影周辺では競うように豪邸開発が進み、〝日本一の富豪村〟が出現しました。

財界の名士らの大邸宅郡 神戸・東灘区

旧乾新兵衛邸

 神戸市東灘区を南北に流れる住吉川を語るとき、忘れてならないのが、明治から昭和初期にかけ、この地に〝日本一の富豪村〟が出現したことだ。現在の地名で東灘区住吉山手、住吉本町、御影郡家周辺。当時は武庫郡住吉村観音林、反高林と呼ばれていたエリアだ。
 住友吉左衛門(住友財閥)▽久原房之助(久原財閥、日立製作所創業者)▽弘世助三郎(日本生命)▽乾新兵衛(乾汽船)▽阿部房次郎(東洋紡績)―など日本経済を牽(けん)引していた名だたる顔ぶれが邸宅を構えた。

旧弘世助三郎(現・蘇州園)
旧村山龍平邸
旧武田長兵衛邸
(白嘉納家の収集品を展示するため設立した)白鶴美術館

     
 「東の田園調布(東京)、西の六麓荘町(芦屋市)が高級住宅地と言われるが、昔の住吉、御影は桁違いの邸宅群だった」
 ダイワボウホールディングス最高顧問の武藤治太さんは振り返る。鐘淵紡績(後のカネボウ)中興の祖と呼ばれた武藤山治の孫で、自身も戦前から20年ほど、この地で暮らした。
 どれほどすごかったのだろうか? 
 武藤さんの記憶をもとに作成した地図によると、邸宅数は約20カ所。敷地が3万坪(9万9千平方メートル)超の御屋敷もあり、「洋館や和館が意匠を競い合っていた」と振り返る。
 住友邸の北側には、この地の大富豪たちが交流する社交場「観音林倶楽部(くらぶ)」があった。武藤さんは「当時の日本の針路はこの倶楽部で決定されていたと言っても過言ではない」と話し、「阪神間モダニズムという独自文化も育まれた」と力を込める。
 こう話す武藤さんの邸宅は、建築家ヴォーリズが建てた洋館のほか、和館、茶室、使用人用の建物があり、5人きょうだいのそれぞれにお手伝いさんが付いていた。「確か、大きな食堂には援助していた画家の絵画があったなあ」
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 日本一の富豪村。それを裏付けるかのような資料がある。住吉歴史資料館が発行した「わたしたちの住吉」には、1932(昭和7)年の一世帯当たりの所得税の平均納税額が記述されている。県平均が88円の時代。武庫郡住吉村は1070円で1位。2位は同郡御影町の286円、3位が同郡精道村(芦屋市)の182円。神戸市は7位の122円だった。住吉村は県平均の約12倍、御影村の約4倍に上り、桁違いぶりを示している。
 住吉村の大邸宅群の中でもひときわ異彩を放っていたのが久原邸だった。敷地面積は3万坪と、何と甲子園球場の2・5個分。邸内にはロシア風の洋館が建ち、六甲山の冷風を送るため、山から直通トンネルを掘ったとのエピソードも残る。

(2019年2月5日付神戸新聞)

 これまた圧巻です。桁違いぶりがうかがえます。日本経済を牽引した財界の面々がこの地に集積していたのですね。今の住吉山手、御影山手、御影郡家にも、日本一の富豪村の面影を継承する建物が残っています。
 さて、最後は趣、歴史はまったく異なりますが、「ビバリーヒルズ」と異名を持つ神戸市北区の高級住宅地をご紹介します。

六甲山の北に位置するビバリーヒルズ 神戸市北区

教会のような西洋風の建築も目立つ

 1区画当たりの敷地面積の平均は約500平方メートル(約150坪)。まちは美しく清掃され、街路樹の手入れも行き届いている。1日2回、管理員が巡回し、地区内に設置された計7台の防犯カメラが、不審者に目を光らせる。新神戸トンネルの箕谷ランプ近くに広がる神戸市北区柏尾台。いつしか人はこのまちを「北区のビバリーヒルズ」と呼ぶようになった。どんな豪邸が建ち、どんな人が暮らしているのか。早速、調査を始めた。

 柏尾台は1980年に東京の不動産会社が中心となって開発し、1993年から分譲が始まった。当時の本紙記事には土地建物価格(平均)1億円前後とある。
 「やはり、億ションやったんや」
 取材をしようと自治会を探すが見当たらない。調べると「管理組合法人」なるものが存在した。理事長の中元勝子さんに話を聞いた。
 「ここには自治会はないの。住人が管理組合(通称・柏尾台六甲倶楽部(くらぶ))を法人化させて、管理会社に住宅街を管理してもらっているのよ」
 ―どんな人が暮らしているのでしょう?
 「医者や会社経営者などが多いわね。昔に比べ、土地の値段が下がったので、最近は若い世代も入ってきてるの」
 まちを巡ると高級外車が数台並ぶガレージや青々と芝がまぶしい庭園を備えた豪邸が並ぶ。教会のような西洋風の建物や近代的な造りの住宅なども目に入る。
 さらに驚くのは、まちの中心部にある六甲倶楽部のクラブハウスだ。組合員が会合を行う会議室のほか、トレーニングマシンを設置したジムスペース、テニスコートなども併設されている。住人の同倶楽部への加入は原則義務とされ、入居時に同ハウスの修繕積立金などとして120万円を支払う。そのほか毎月徴収される組合費約1万4千円は、管理会社への委託料金などに充てている。
 「高いでしょ。でも料金がかかる分、住宅街の清掃とかも住人はやらなくていいの」と中元理事長。また、回覧板もなく、住民で共有すべき情報は管理会社から各戸に知らされる。

 それではお待たせしました。豪邸訪問でーす!
 西洋の城のようなとがった屋根が特徴の久保田道夫さん宅=上記写真。東京で自営業を営んでいたが、数年前に引退。その後、学生時代を過ごした神戸に戻ってきたという。「友達も多いので関西で探していたところ理想的な住宅を見つけられた。トンネルもあるので三宮に飲みに行ってもすぐに帰れるところもいい」と太鼓判を押す。芝生が整備された庭には、喫煙専用のあずまや、屋内には愛犬専用の部屋を設けるなどのこだわりだ。
 また、元船長の大橋一晴さん宅は、バラや桜などあらゆる植物を栽培する約190平方メートルの庭園が特徴。「趣味の園芸を楽しめる」と満足げだ。

(2019年8月29日付神戸新聞)
平均約500平方メートルの敷地に建つ豪邸=神戸市北区柏尾台

 芦屋、神戸・東灘区、北区の豪邸巡りはいかがだったでしょうか? ごく一部しかご紹介できませんでしたが、大阪のベッドタウン的な街として発展した神戸、阪神間には、明治から昭和期かけ、日本経済を支えた多くの富豪たちの居宅がつくられました。取材ができれば、第2、第3の豪邸訪問リポートをお届けしたいと思います。

ド・ローカル
 1993年入社。「富を築いても3代で継承できなくなる」。駆け出し記者の頃、先輩記者からこう教えられました。相続税が巨額で、3代目には支払えず滅亡する、ということではないかと理解していました。取材をすれば、そんなことはなく〝華麗な一族〟は脈々と続いています。継承事業がよほどうまくいっているのか、巧みな税対策を取っているのか。いくら考えても自分に富は回ってきませんが…(笑)

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