見出し画像

70年続いた違法売春街が、たった1枚の紙で消えた理由

2021年11月1日、兵庫県尼崎市で「かんなみ新地」と呼ばれる売春街が突然、一斉閉店しました。いわゆる「ちょんの間」が並ぶ色街として、関西では大阪・西成の「飛田新地」などと共に知られていました。戦後間もなく生まれた非合法の街が、およそ70年も社会に黙認されながら、一日にして姿を消したのはなぜか。

私たち神戸新聞阪神総局の取材班が、働いていた女性や、警察、市などの関係者に聞きました。

緊急連載「色街が消える」を再編集してお伝えします。

■消えたネオン

 通称、かんなみ新地。
 尼崎市の阪神電鉄出屋敷駅から北へ歩いて10分足らず。2、3階建ての木造建築が並ぶ一角は2021年10月まで、日が暮れると異世界のように妖しい空気を放っていた。
 30店ほどの扉が次々に開き、ピンクのネオンが暗い路地ににじみだす。香水の甘い匂いが漂ってくる。「兄ちゃん!」と声を掛ける中高年の女性と、光の中でほほ笑む若い女性に手招きされ、男性客が吸い込まれていった。
 店を切り盛りする「ママさん」、店先で客を呼び込む「引き子さん」、そして店の中で客と対面する「女の子」…。 そう呼び分けされる彼女たちのなりわいは、飲食店で従業員と客が恋に落ちて体を重ねる―という建前の下、終戦直後から約70年もの間、社会で「暗黙の了解」とされてきた。 その「色街」に2021年11月1日、1枚の紙が突き付けられた。

店から漏れるネオン。この光景はもうない=2021年3月5日午後、尼崎市神田南通3 ※画像の一部を加工しています

◆直ちに中止せよ  

 1日昼ごろ、尼崎市役所付近にある中央地域振興センターの会議室。
 「かんなみ新地組合」の代表として何の前触れもなく呼び出された女性は1枚の紙を差し出され、尼崎市職員と兵庫県警尼崎南署員に淡々と告げられた。
 「そういうことなので」
 紙は「警告書」の3文字に、市長と署長の公印が押されている。
 飲食店の形態をとりながら、店の実態は女性による性的サービスの提供という情報を得ている―。そう切り出し、店がある場所は性風俗店の営業が禁止されている地域であると指摘している。
 さらに、地元から「生活環境が悪化している」との声が寄せられているとたたみかけ、書きぶりはやんわりとこう結んだ。
 
「違法な営業をしているのであれば、直ちに中止するよう警告いたします」

◆私らの商売って

 「女の子と引き子さんの出勤を全て止めてください。詳しいことは店で説明します」
 午後3時ごろ、ママさんたちのLINE(ライン)に招集連絡が入った。数時間後に集まると、組合代表の女性が告げた。
  「今日行って、今日の話なんやけど、もう一切営業はできません」 
たった10行余りの文書は「もう黙認はしない」という当局からの意思表示でもあった。続ければ、風営法違反で摘発されかねない。 
 「純然たる飲食店であれば構わないということ。ただ、こそっとでも風俗営業をしたらそれもできなくなる。絶対に、そんなことはしないように」 
 即決せざるを得なかった。
 「あまりに突然のことで。てんやわんやで…」
 あるママさんは戸惑いを隠せなかった。
 組合から事情を聞かされた後、引き子さんや女の子たち一人一人に電話をかけて事情を説明した。電話越しに、震える涙声を聞いた。
 「生活の源がストップするんやもん。すぐにどこでも働けるような、勇気のある子ばっかりじゃないですからね。うちらもそうですけど、ぎりぎりの生活をしていて…」
 あの日から数日、頭が真っ白だった。だが、少しずつ店の片付けをしなければならない。多くのママさんが、尼崎市に正式に廃業を届け出た。
 「もう、ほんまに終わり」
 空っぽになりつつある店を眺め、一人のママさんがゆっくりと絞り出すように言った。
「なんかね、悔しさもあるけど」
「こう、むなしくなるね」
「私らの商売って、こんなもんなんかなぁって」

怒声が飛んできた

  「かんなみ新地」は警告を受けて以来、夜になっても扉を閉ざしている。「いらっしゃいませ」と書いた電光看板だけは自動で点灯するようで、暗闇にぼんやりと浮かび上がる。ずっと停まっているパトカーの赤色灯が、外壁を赤く染めていた。
 6日昼、扉が開き、出てきた女性に声を掛けた。
 「それどころじゃないの分かるやろ。あなたに話して助けてもらえるのならなんぼでも話すよ。もう元に戻らへんもんは戻らへんやろ」
 さらに、片付けを手伝っていた中年男性にも淡々と言われた。
 「明日の生活をどうしようかと路頭に迷ってるところで、なんの話ができるんや。見ての通りや。書きたかったら好きに書いたらええやろ」
 奥まった店先で女性たちが警察官を囲み、騒然としていた。鑑識員が辺りを入念に調べている。聞けば、エアコンの部品を誰かに盗まれたという。
 鑑識作業を眺めていると、警察とやり取りしていた女性から怒声が飛んできた。
 「野次馬してるんちゃうで!あっち行って!」
 そばにいた別の女性は「まあ、もうエアコンも私らは使わへんから、いいねんけど」と、自虐気味に笑った。

 ◆いよいよ、これで最後

 16日、大量の敷布団や冷蔵庫、棚といった店の備品が、前の道に山積みになっていた。血痕のようなしみが付いたマットレスもあった。
 「ざっくり5トンくらいはありますわ」。回収業者の男性が汗を拭い、手際よくトラックに荷物を積み込む。粗大ゴミの山は、2日間かけて回収された。
  約30店を束ねた「かんなみ新地組合」は解散することになり、積み立てた組合費はこの廃棄の支払いで底を突いたという。外壁に無数にあったエアコンの室外機は、どんどん減っていく。
 「いよいよこれで最後。風俗店としての復活? 100%、いや200%ありません」
 あるママさんは、何往復もするトラックを見つめて言い切り、こう付け加えた。
 「若い女の子はとにかく、おばちゃんは次の仕事がうまく見つからんかったらねえ…。できることならクラウドファンディングでもして退職金を払ってあげたいわ」
 冗談めかしていたものの、その口調は妙な現実味を帯びていた。

かんなみ新地の関係者によると、営業時間は夕暮れから0時ごろまででした。遊郭の名残がある飛田新地は、扉が開け放たれた「料亭」の1階に女性が座り男性を待ちますが、かんなみ新地はカウンターだけの飲食店形式で、女性たちは露出度の高いワンピースやミニスカートを着て座っていました。

店の前を歩いて回り、好みの女性を見つけると2階へ上がり、自由恋愛の建前で性行為をするという流れ。飲食店名目のため、退店時には缶コーヒーやお茶、ジュースといった飲み物が手渡されました。

風俗営業の許可を得ていないにもかかわらず、70年もの間、非合法で存続してきたこの「色街」は、どのようにして生まれたのでしょうか。

粗大ごみの山の中にあったホットドリンクケース。建前は「飲食店」。客に「売る」ための缶のコーヒーやお茶が温められていたのだろうか=2021年11月16日午後、尼崎市神田南通3 

■誕生秘話、この街の掟

 このまちが誕生したのは、さかのぼること70年ほど前、昭和20年代の半ばとされる。
 終戦直後から、阪神尼崎駅や出屋敷駅、国道2号の辺りの街角に、女性が立ち始めた。「街娼」と呼ばれる彼女たちは、次第に店舗型に形を変え、それが各地に集まって「青線地帯」と呼ばれる非合法の風俗街ができた。
 当時のかんなみ新地の呼び名は「パーク街」や「パーク飲食街」。「地元の70歳以上くらいの人は、みんなパークって呼ぶね。店の前には川が流れ、お客は橋を渡ってきてたらしいよ」と、ママさんの一人が教えてくれた。
 尼崎市立歴史博物館が市民とともに集めた証言記録によると、その由来は、隣接していた映画館「パーク座」だ。
 映画館を建てていると、建設業者が敷地内に勝手にバラックをつくり始めた。戦後の混乱期にあって、不法占拠につながりかねないと危惧した映画館の経営者は、そのまま乗っ取られないように貸店舗群を建てた。そこに売春店が集まり、「パーク街」などとして知られるようになった。
 映画館がなくなると、地名の「神田南通」から「かんなみ新地」と呼ばれるようになったという。
  当時の尼崎は労働者のまちとしての求心力を背景に、全国から職や日銭を求めて人々がやってきた。市内に青線は少なくとも9カ所あったとされ、そこで働く女性たちも例外ではなかったという。 1958(昭和33)年に売春防止法が完全施行され、尼崎市にあった青線は姿を消した。ただ、かんなみ新地だけは、その存在こそ知られながらも、令和の時代まで残った。 15年前に取材をしようとした記者は、ママさんの一人にこう言われたという。 「ここらで人のことを根掘り葉掘り聞いたらあかんで。私らも聞かへんし。それが、この街のルールや」

 

「パーク街」などと呼ばれた当時の地図。北には映画館「パーク座」があった(尼崎市立歴史博物館の資料より)

◆警察には温情さえ感じる

 「今まで目をつむってもらっていたということは、私たちだって理解していた。正直、警察には温情さえ感じるんです。ただ、なぜ70年間も営業を続けられたのか、それは、私にも分かりません」
 ママさんの一人が言った。
 2年前から新型コロナが蔓延すると、周囲からの目線にはより気を配っていたという。緊急事態宣言中は休業要請に応じ、店を閉じていた。
 「できる限り迷惑を掛ないように。商売をさせてもらってるんだから。地域のことを考えると、好き勝手に営業するわけにはいかない。そう考えていました」
 それだけに、警告の唐突さにはうろたえた。

かつて取材した時にママさんの一人は「昔はいろいろ抱えた子が多かったけど、今は普通の子が多いで」と話していました。
聞けば、かんなみ新地は他の風俗街に比べても、女の子への取り分がよかったようです。また、かんなみ新地組合は原則、女性だけで切り盛りしていて、特有の働きやすさがあったのかもしれません。
では、なぜ突然、警告が出されたのでしょうか。その舞台裏に迫ります。

2021年3月5日午後、感染対策の徹底を呼び掛けながら営業を再開。ママさんが漏らした。「もうボロボロや。食べるのもままならんくて、空気を食べて生きている感じ」

■解体の舞台裏「もう時代が許さない」

  「かんなみ新地」一帯の非合法な風俗営業に対して、尼崎市と県警が直接的な警告を出すのは約70年の歴史で初めてだ。
 過去の資料をたどると、地元から立ち退きを求める陳情は続いてきた。風俗街ができて間もない1951(昭和26)年11月1日には、県が強制立ち退きに本腰を入れたという記事が神戸新聞に載っている。
 しかし、58(昭和33)年に売春防止法が完全施行されても、当局は手をこまねいてきた。 この当時、かんなみ新地を取材した神戸新聞の警察担当記者がこんな証言を残している。 「当時の尼崎市内には特飲街(買春街)も多くあって、はやっていました。それというのも、工場街に活気があって、労働者の数が多かったからでしょう。(警察は)『そのうち取り締まるわ…』というような具合です、たまに本当に取り締まるのですが、手入れ(警察の捜索)があることが店の方に筒抜けになってたりしてね。それでも時には経営者が何人かつかまったりしていました。(略)そのうちに女性たちは帰される。そんなことの繰り返しでした。昭和30年代当時は、あまりにひどいと警察は取り締まりますが、ふだんはなかば公認という感じでしたかね」
 「ほんとうに粗悪なバラックのような建物で、1階は椅子かなんかを置いて酒を飲ませる店のようなしつらえになっています。その奥の、狭いはしごのような階段をのぼると、すぐそこに布団が敷いてあるんです。2階は、まっすぐに立つと頭がつかえるぐらいに天井が低くてね」 それから約50年を経た2006年の兵庫国体前にも、尼崎市や警察は「歓楽街クリーンアップ」と銘打ってパトロールを強化し、ひそかにかんなみ新地の解体も狙った。
 しかし結局、手付かずに終わる。 「機運が熟していない。中途半端では逆に混乱を招いてしまう」 捜査幹部らを悩ませたのは、摘発してもすぐに営業を再開される「いたちごっこ」だった。

◆なぜ今なのか

 関係者らによると今回、警告に踏み切ったタイミングには三つの背景がある。
 一つ目は「SNSやネットの広がり」。
 誰もが簡単に情報を発信できるようになり、近年ではユーチューバーらが訪れてカメラを向けた。組合は営業中の撮影を禁じていたが、働く女性たちの姿を外から撮った映像もウェブ上に流れていた。陰のなりわいが白日の下にさらされると、当局も見て見ぬふりはできなくなってきた。

 二つ目は「都市整備」。
 尼崎市は近年、子育て世代の定住促進を目指し、住環境の整備を本格化させている。JR尼崎駅前は民間の「本当に住みやすい街大賞2018in関西」に輝き、阪急電鉄塚口駅南でも軌道に乗せると、風俗街のある阪神電鉄出屋敷―尼崎間のわい雑さは際立っていった。

 そして三つ目が「暴力団排除」だ。
 15年に起きた暴力団山口組の分裂抗争から機運が高まると、今年に入って尼崎市は全国初の組事務所買収に踏み切り、2カ所を解体に追い込んだ。風俗街との関わりは不透明でも、非合法な存在である限り、反社会的な組織と連鎖する危険性は避けられないとみた。
 捜査幹部が言った。
 「もう隠れて復活することも時代が許さない。市と警察、市民の思いが一致したのが11月1日だった」

歴史に幕を閉じたかんなみ新地。商業施設や真新しいマンションに埋もれている=2021年11月25日午後、尼崎市神田南通3

◆尼崎市長「まさか一斉に閉じるとは」

 25日午後、尼崎市役所。
 稲村和美市長は定例記者会見の終盤、かんなみ新地の問題に質問が集中すると、熱っぽく語り始めた。
「暴排運動を通じて警察と連携するパイプが太くなり、ギアが変わった」「こんなに一斉に閉めるとは思わなかった。ある意味、違法だということを自覚しているのだと思った」
 きっかけは、警察側から「抜き打ちの摘発ではなく、警告で進めたい」との申し出があったことだという。市も一斉に店が閉じるのを想定して周辺の街灯を明るくし、新たに防犯カメラの設置も検討し始めたことを明らかにした。 市によると、一帯の約30店のうち、約10店が11月25日までに廃業届を出した。空き家街になることも懸念されるが、一部の店舗は売春行為をしない弁当店や居酒屋として営業を始めている。 市は今後、消防法などに基づいて定期的に調査して動向を注視していくとした。

静まりかえったかんなみ新地の中の通路=2021年11月、尼崎市神田南通3

   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆   ◆

 そこにあると分かっているのに、人々の後ろめたい欲望や諦め、無関心の中で存続し、黙認されてきた色街が、たった1枚の紙によって尼崎から姿を消した。市や弁護士会には、働いていた女性たちからの生活相談も届いているという。

店の前で客を呼び寄せる引き子さんが座っていたイス=2021年11月、尼崎市神田南通3

かんなみ新地は、法律という社会のルールに反しながら、それを知る尼崎市も警察も長らく黙認を続けてきました。見て見ぬふりをしてきたのは私たちも同じで、少なくともここ数十年間は真っ正面から記事にすることはできずにいました。

どのような形であれ、記事が違法風俗街のPRになるようなことがあってはならないという慎重な意見もありました。せめて終焉に際してその存在を記録しようと始めた連載でしたが、やはり市の関係者からは「神戸新聞さんは復活してほしいんですか?」とも言われました。

 ただ、一斉閉店こそ予想外でしたが、私たちはそろそろ警察が何らかのアクションを起こすだろうと考えていました。

 その最も大きな理由は「暴排」です。

 2015年、神戸市灘区に拠点を置く全国最大の暴力団「山口組」が分裂し、対立抗争が激化していく中で、兵庫県警は社会不安を受けて暴力団への取り締まりを一気に強めます。

とりわけ尼崎は暴力団が多く、市内に複数の勢力があって対立関係が強い地域です。組員たちの銃撃事件が相次ぐ中、2021年に入り、尼崎市はついに全国初の組事務所買い取りを実現し、その後も複数の組事務所を撤去させます。市と警察の協力関係が、これほどに強くなったのは初めてではないでしょうか。

その中にあって、兵庫県警は春から県内の違法風俗店を立て続けに摘発していました。実際に風俗店が暴力団の資金源になっているかどうかは分かりません。かんなみ新地も表向きには「無関係」を掲げていました。

しかし、非合法の営業である以上、そこに反社会的勢力がつけこむ可能性は十分にあるというのが警察の見方です。何かトラブルがあって警察に頼れないのなら、一体どこに頼るのか…と。

 かんなみ新地の解体は、暴力団抗争に端を発して社会がグレーな存在を許さなくなったことの表れともみることができます。

ある市関係者から聞いた言葉が印象的だったので、最後に紹介します。

 「尼崎にあった他の青線地帯が姿を消すなか、なぜかんなみ新地だけが今日まで残ったのか。むしろ、今までつぶれなかったことが奇跡的で、一番の不思議なんですよ」

 ◆かんなみ新地の一斉閉店を受けた市長会見の詳報はこちら。市長、かんなみ廃業に手応え 「おにぎり屋さん、まっとうにやっている」

神戸新聞阪神総局> デスク2人と20~50代の記者8人で、兵庫県南東部の「阪神間」(尼崎市、西宮市、芦屋市、伊丹市、宝塚市、川西市、猪名川町)を取材しています。日々のニュースや何気ない写真、動画などをツイッターインスタグラムでも投稿しています。