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神戸はじめて物語 こんなものが日本初!

 海と山に囲まれた港都・神戸は、明治期の開港をきっかけに、映画やジャズ、ファッションなど西洋文化をいち早く取り入れ、モダンでハイカラな街として発展してきました。神戸で生まれた日本発祥を調べてみると、その数はなんと約70にも上ります。
 その中で、今回は「えっ! こんなものが」「へぇ~ そうなんだ」と、思わず声を上げたくなるような日本初を、ド・ローカルが主観たっぷりに3つ厳選してみました。

①【花時計】愛されて65年 植え替え500回以上

 4年前、神戸市役所北側から南側の東遊園地に移設された「こうべ花時計」。日本第1号として1957(昭和32)年に設置され、2022年で65年を迎える。各時代を映す図柄を約3千株の草花で彩り、市民や観光客の目を楽しませてきた。神戸新聞では植え替えのほぼ大半を取材し、紙面に掲載してきました。上記写真は500回目(2018年)の写真です。100回ごとの節目の写真を下記に並べてみました。

初代花時計
100回目の植え替え
200回目の植え替え
300回目の植え替え
400回目の植え替え

 1969年から5期20年間、神戸市長を務めた故宮崎辰雄氏が助役時代、出張先のスイス・ジュネーブの花時計を見て提案し、作られた。直径6メートル、高さ2.25メートル、斜度は15度。市営地下鉄海岸線の駅名にもなる。
 植え替えは1~2カ月に1回行われ、年末には翌年の干支(えと)にちなんだ動物などが恒例となっている。東京五輪(1964年)や神戸ポートアイランド博覧会(1981年)、神戸空港開港(2006年)など、各年代の象徴的な出来事にちなむ図柄が描かれてきた。1995年の阪神・淡路大震災では、停電で止まったこともあったが、2カ月半後には復興の願いを込めたチョウのデザインが描かれ、復活を遂げた。2018年に植え替え作業が500回目の節目を迎えた。

東京五輪開催記念(1964年)
神戸空港開港記念(2006年)

 花時計が日本初。調査してみるまで知らなかったのですが、こうして並べてみると圧巻です。すぐそばに旧居留地もあり、花時計は、「神戸っ子」の待ち合わせ場所としても有名です。また、地下鉄の駅名にもなっています。

②【毎朝登山】5千回? 1万回? 毎日登る高取山

高取山から神戸港が一望できる

 神戸市長田区の地図を開いてみた。まず目に止まったのが、須磨区との区境にそびえる「高取山」だ。六甲山全山縦走のコースとして知られ、毎日登山の草分け的存在とも聞く。「本当に毎日登るの?」。耳を疑うような話だが、5千回、1万回は珍しくないらしい。中には2万回超えの人もいるとか。2万回登るには1日1回として54年もかかる。「すごすぎる!」。長田を知るには、まずこの山を制するべし。好天に恵まれたある朝、山好きの地元住民らに案内してもらい、頂上を目指した。

 山頂へ向かうには九つほどのルートがあるという。今回は育英高校(長田区長尾町2)近くに入り口がある「一宮コース」からスタートした。住宅が連なる坂を進み、緑深まる登山道へ。コンクリート舗装のため歩きやすく、地元の幼稚園児や主婦も気軽に楽しめるという。1日1回、数カ所に設置された名簿に記帳ができる。
 登山者のピークは、午前6時ごろ。登山道脇の広場で開催されるラジオ体操が目的という。保護司の男性(69)は「雨でも雪でも、真っ暗な時間帯から元気に登る人も多い。通勤前にひと登り、という人もいる」と教えてくれた。すれ違う人とあいさつするのも、山のマナーだ。
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 ところで「高取山」の読み方は、「たかとりやま?」「たかとりさん?」 正式には「たかとりやま」と呼ぶが、国土地理院に登録された麓の地名は「高取山(さん)町」という。
 その影響からか、平和台町2丁目西山自治会会長の男性(71)は「地元の人たちはほとんどが『たかとりさん』と呼びます」。長田区役所によると「親しみを込めて『○○さん』と呼ぶ関西特有のルールが、高取山にも適用されているのでは」と説明する。
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 ゆっくり歩いて約40分。澄んだ空気に、木漏れ日が気持ちいい。
 大鳥居をくぐって最後の階段を上ると、山頂の高取神社に到着した。標高は328・8メートル。神戸や大阪を見渡せる眺望に、疲れが吹き飛ぶ。
 宮司の男性(59)によると、同神社は1800年以上の歴史を持ち、古くは「神撫(かんなで)山」とも呼ばれていた。明治後期ごろに「毎日登山」の文化が生まれ、年代を問わず親しまれている。
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 景色と歴史を楽しみ、いざ山を下る。高取山の大きな特徴は、登山ルートに四つのお茶屋さんがあること。毎日登山の常連さんの多くは、ラジオ体操後、お茶屋さんに立ち寄り、おしゃべりしたり、コーヒーを飲んだりするのが日課という。お腹が空いてきたので、中腹にある「中の茶屋」で休憩した。
 オーナー夫妻は、元々は山の常連。先代夫婦が高齢化で店を引退すると聞いて引き継いだ。近年は海外からの登山客も増え、外国語で書かれた色紙が店内に飾られている。日曜はカラオケや卓球大会でにぎわうほか、地元企業が催す「投げ輪」の競技場にもなるという。
 帰りは旧参道を通り、住宅街に到着した。もうひと往復…とはいかないが、初心者でも毎日登山は続けられそうだ。
 長田区をどっしり見下ろす高取山は、まさに区民のオアシスだった。

(2018年10月16日神戸新聞朝刊)


 毎日登山がいつ始まったのでしょうか? 文献などによると1905(明治38)年とあります。在日外国人が神戸・北野のハンター坂から、六甲山系の再度山(ふたたびさん)にある大竜寺近くにあった「善助茶屋」(現在はありません)にサインブックを置き、署名する習わしがあったことからだといいます。今はここに「毎日登山発祥の地」と刻まれた石碑が建っています。

高取山への登山道


 記事には、高取山に5千回、1万回も登った人がいるとありました。「本当にそんな人がいるの?」と耳を疑いましたが、いました!いました! なんと63年も毎日欠かさず登山をし、神戸市から表彰されていました。

再度山登山 2万3千回 灘区の86歳男性 聴覚障害乗り越え 神戸市内最多タイ記録

毎日登山2万3千回を達成した表彰式


  再度山(神戸市中央区、標高470メートル)に毎日登り続けている灘区の男性(86)が登山2万3千回を達成し、このほど市教委などに表彰された。市内最多タイの記録で、毎日欠かさず登り続けても63年かかる。19歳から始めた山村さんは、両耳が聞こえない障害を乗り越えて成し遂げた。
 毎日登山では、一王山や摩耶山、高取山など市内計11の山筋で登頂するたびに、所定の署名簿に名前を記入。一定回数の達成者を市教育委員会や登山愛好家でつくる「神戸市民山の会」などが表彰している。現在は約2500人が取り組んでいるという。
 男性は、幼少期の高熱の影響で難聴になった。神戸大空襲で滋賀県に疎開。19歳で神戸に戻って紳士服店の仕立屋で働くようになり、「座りっぱなしで足が痛い」と始めたのが毎日登山だった。
 天候にかかわらず早朝の登山を続け、病気知らずという男性。「空気がすがすがしくて気持ちがいい。季節によって景色が変わるのも魅力」という。神戸市役所で表彰状を受け取り、「次は2万5千回が目標。トップを走りたい」とさらなる意欲を見せた。

(2018年11月21日神戸新聞)


③【トイレットペーパー】

 トイレットペーパーと言えば、静岡県や愛媛県に製造会社が多いので、まさか、神戸が発祥の地だと知りませんでした。神戸新聞の過去記事を見ても、トイレットペーパーが神戸初との記事がわずかしかありませんので、同人たちにもあまり知られていないのでは、と思います。
 調べてみますと、時は明治時代にさかのぼります。洋紙の技術が導入されると、機械すきの平版のチリ紙が生産されるようになりました。ロール状のトイレットペーパーは明治の初めごろアメリカで考案されていました。日本では1924(大正13)年、神戸の貿易商・島村商会が外国船向けに、土佐紙会社芸防支店(現・日本板紙芸防工場)に注文したのが最初といわれています。当初は原紙のまま納品して島村商会で巻き加工をしていたといいます。このことにより、神戸が日本のトイレットペーパーの発祥地と言われているらしいのです。

 さて、いかがだったでしょうか。私の主観でピックアップした神戸発祥3選。このほかにも多くの分野で、神戸発祥はあります。ただ、昔から「発祥地論議」は各地で繰り広げられてきており、厳密に言えば…神戸ではないというものも含まれているかもしれませんが、主なものを下記の表にまとめてみました。


<ド・ローカル>
 1993年入社。この3選の中では①の花時計は神戸市役所担当時代、何度も取材をしました。多くのみなさんは出来上がったものしか目にすることがないと思いますが、3000株を地道に植え、作品にしていく職人さんたちの作業努力と技術にはいつも感銘します。

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