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作家・塩田武士さんが描く芸人群像!! 記者時代に執筆した名物企画を紹介します

山田風太郎賞、吉川英治文学新人賞などを受けた新進気鋭の作家、塩田武士さんが、2002年から約10年間の神戸新聞記者時代に手掛けた企画の一つが、「笑いの新星 天下とります」でした。

2008年の3月から9月にかけて夕刊に掲載されたこの企画。「Mー1グランプリ」をきっかけに再燃したお笑いブームの中で、もがき、苦しみながらも、一途に笑いを追求し、名を上げようとギラつく若手芸人のリアルな姿を、軽妙なタッチで描いています。

ジャルジャルや鎌鼬(現かまいたち)、麒麟など、今では誰もが名前を知るメジャーどころから、紆余曲折を経て活動を休止したコンビまで、全25組の青春群像。今回はその中から、塩田さんの後輩記者シャープが選んだ「成り上がりたい2人 鎌鼬」「ネタ満載の裏目人生 とろサーモン」「吹き荒れるベタの嵐 安田大サーカス」の3組の記事をご紹介します。


塩田さんが書いた初の署名記事、そして最後の署名記事はこちらから

① 成り上がりたい2人 鎌鼬

 誰の人生にも衝撃の瞬間があるだろう。その経験から、コメディアンを志す人間がいても不思議ではない。
 大阪市出身の濱家隆一にとっては、小学低学年の授業参観日だった。太平洋戦争中の食糧難を表すエピソードとして教諭から、団子にした小麦粉にしょうゆをつけて食べていたことを紹介された。「ん?」と首をかしげた。それは、昨日の晩ご飯だったからだ。
 「先生が大変さを強調するほど、疑問がわいてきた。ひょっとしてうちは貧乏ちゃうか、と。メーンディッシュやったから」
 教室の後ろで一人うつむく母をそっと見て、お笑い好きの少年は思った。「芸人になって、家族にいい暮らしをさせてやりたい」
 島根県で生まれ育った山内。父親は小学校長で、母親はPTA活動や教育委員会の手伝いに積極的だった。祖母から「先生の子どもだから」と言われ続け、体面を気にしてきた。お笑い好きだったが、奈良教育大へ進み、教師になるのだろうと漠然と思っていた。
 だが、高校での教育実習最終日に悲劇が。実習生十三人のうち自分以外の全員が、花束と寄せ書き入りの色紙を抱えていた。山内の担当は、理系進学クラスで気安い生徒が少なかった。それでも一人だけ両手が空いているという厳然たる事実は、アイデンティティーの危機を招いた。
 教室で一人うつむく自分を省みて、笑い者にされていたと感じた山内は思った。「やっぱり芸人になって、ものすごい家と車を買ってやる」
 二人は「大阪NSC」に入った。実力トップのAクラスにいた濱家は、相方を五人も変えた。最下層Cクラスの山内は、「言うてる場合か」のツッコミしかできないインドネシア人ハーフとコンビを組んで失敗。ただラジカセを使ったネタを一人で披露すると途端に面白くなった。

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