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放浪の天才画家 山下清と兵庫

生誕100年

 「放浪の天才画家」として知られる山下清の代表作など約170点を紹介する「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」が、神戸ファッション美術館(神戸市東灘区向洋町中2、8月28日まで)で開かれている。18歳のころから日本各地を放浪し、兵庫県内でもさまざまな場所を訪問。今回は、「裸の大将」としても親しまれた山下と兵庫の縁を、昭和30年代の3本の記事からたどる。
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〝ひょっこり〟西宮へ

1956(昭和31)年6月4日付朝刊

 昭和31年6月4日の神戸新聞には、山下が同年6月3日午後、西宮に〝ひょっこり〟現れたとの記事が掲載されている。5日から大阪の大丸で開かれる山下清展に顔を出すためで、西宮・夙川で文化人が集う喫茶店「ラ・パボーニ」を主宰した洋画家・大石輝一のアトリエを訪ねたようだ。山下と大石の関係は、2015年の記事でも紹介している。

いずれも2015年8月31日付夕刊

 神戸ファッション美術館で開催中の「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」 では、ともに1956年作の「夙川風景」「南京町」の2点のペン画も展示されている。


淡路を語る はだかの大将

1959(昭和34)年1月1日淡路版

 昭和34年1月1日の神戸新聞淡路版には、山下のインタビュー記事が掲載されている。記事では、山下が前年の昭和32年3月に1週間程度、展覧会のため洲本の老舗旅館・四州園(現在は廃業)に滞在し、「好きな絵を書いたり、張り絵をしながら遊びまわった」とある。
記事では淡路での思い出について、
「馬に乗って山(三熊山)へいった。だけどおっかなかったな(こわいの意)何でも大きい動物はおっかないな。面白いことは面白かったけど…」
「手を動かすと人形の口がパクパク動く。おかしな具合だな。人形は口を動かしてもものはいわない。うまいもんだな」(人形芝居について)などと紹介している。
 この記事は、記者が東京の山下の自宅を訪れてインタビューしている。元旦の淡路版のトップ記事を飾っていることからも、当時の山下の人気ぶりがうかがえる。


〝ここは田舎だなあ〟 加古川、高砂へ

1959(昭和34)年5月16日東播版

 淡路版の記事が掲載された昭和34年には、東播版でも5月に山下の記事が確認できた。記事には、加古川小学校講堂で開く個展に出席するため、加古川、高砂市を訪れたとある。報道陣との懇談会に訪れた山下の姿について、記事では
「ニックネームに似合わず、グレーとグリーンのチェックの背広に同色のスポーツシャツ、紫色のハンチングベレーという粋なスタイル」
と紹介。また、高砂市役所を訪れた際には
「公室のソファーにどっかと座るなり『便所はどこ?』とたずねさっさと席を立った。」
「屋上の囲いにヒジをついて5分間ほどじっと周囲をながめていたが『まだここは田舎だ』とドモリながらポツンと一言」
などと、全体的にやや茶化した雰囲気で紹介している。
 

画家・山下清とは

 ここまで西宮、淡路、加古川・高砂を訪れた際の記事を紹介したが、全体的に「裸の大将」のイメージに寄せた、素朴でコミカルな姿を強調しているように感じられた。また、山下の独特の言動に対しても、小馬鹿にした表現が見受けられ、現代を生きる私の感覚としては、読んでいてあまり気持ちの良いものではなかった。3つの記事では、作品に対する記述はほとんどなく、画家ではなく、現代でいうタレントのような扱い方をしている。
 タンクトップに短パン姿ではない、画家、芸術家としての山下とは何なのか。放浪の旅で何を見て、何を想ったのか。神戸ファッション美術館で開催中の「生誕100年 山下清展―百年目の大回想」 では、山下の代名詞である貼り絵だけでなく、幼少期の鉛筆画から油彩画、陶芸作品などを一堂に展示。作品よりも本人そのものに注目が集まっていた山下の、アーティストとしての姿に迫っている。


〈スパイス坊や〉
2009年入社。アートは分からないが、好き嫌いだけは一人前にあるアラフォー男子。年々、自分の「好き」が固定化されつつあるので、時には「自分が思う自分」よりも「人から見た自分」を優先し、すすめられたものにはどんどんチャレンジしていこうと思っています。