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「おしゃらいさん」ってだれかのこと?集落で見かけた不思議な「棚」を支局長が調べてみると―

民俗学者、柳田国男(兵庫県福崎町出身)ゆかりの兵庫にはユニークな伝統行事や風習が残されています。8月中旬の帰省が多くなる時期に合わせ、播磨、摂津、但馬、丹波、淡路の旧五国の盆行事を取り上げようと、過去の紙面をくっていたらある記事に目がとまりました。謎に満ちた風習を追いかけた支局長の奮闘とともに播州人3号が紹介します。

おしゃらいさん」と呼ぶそうです。
過去30年ほどで紙面に紹介されたのはたったの7回。
しかも最初の1本は4年前でした。
兵庫県最北端、日本海に面した香美町香住区の集落に残された風習です。

棚に花や夏野菜…これって何?
盆の風習 おしゃらいさん
ご先祖さまを迎え、棚経も

 今年もお盆が巡ってきた。ところで香美町香住区の海沿いの集落には、この時期、ちょっと不思議な棚を飾る風習がある。去年それに気付いたのは、うかつにもお盆の終盤。あれは何だ、と思っているうちに片付けられてしまい、取材が間に合わなかった。だが、心構えができていた今年は違う。すみません、これ、何ですか?
 まずは棚の形を紹介しよう。長さ1・2メートルほどの細長い棒の先に、約30センチ四方の正方形の板が載せられ、地面から7段のはしごが掛けられている。板の四隅には筒に入った花が飾られ、中央には夏野菜や団子などが供えられているのが一般的だ。
 私が気付いたのは香住区香住~同区一日市の中心市街地にかけての一帯。多くの家で玄関先や庭に設置されており、聞けば、ご先祖さまを迎えるためのものだという。お盆に帰ってきた仏さまが、はしごを登り、上の野菜や団子などを食べる、ということらしい。
 あまり見掛けない形の棚だが、香住の中心部だけに伝わる風習だろうか。13日午後、山を挟んだ東側の柴山地域を訪ねてみると、ここにもあった。しかも、帰仰寺(同区浦上)の坂口靖周住職(34)が、お経をあげて回る「棚経たなぎょう」をしているのに偶然遭遇。ちょうどいいので、しばらく同行させてもらった。
 柴山では、花のほかに青々としたササが飾られており、香住とは少し雰囲気が違う。花の筒も板の四隅ではなく、手前の角二つだけというケースが多いように感じた。
 ちなみにこの棚、地元では「おしゃらいさん」「おしゃらさん」などと呼ばれている。ところが14日に余部や御崎地区などを訪ねると、やはりここでも存在を確認できたが、「サイリ棚」「サイライ棚」(漢字は不明)と呼ぶ人が。これがなまって「おしゃらいさん」になったのだろうか。
 さらっと紹介するつもりが、書き始めると紙面が全然足りない。おしゃらいさんの分布状況など、私の気力がもてば、次回、さらに深掘りしてみたい。情報提供は香住支局まで。特に、お寺の関係者からのご連絡をお待ちしています。

(2018年8月15日付朝刊より)

前の年から気になり、1年待って原稿にしたようです。
こういう場合、ついつい翌年も忘れてしまうものですが、住職と出会う幸運もあって取材は進みます。
が、書いてみると謎ばかり。そこで腰を据えた取材に切り替えたのか、手がかりを求めて支局の連絡先まで掲載する熱の入れようです。

1週間後、「続報」が掲載されます。

お盆に飾る不思議な棚
おしゃらいさん 見た目いろいろ

写真【1】

 15日付の紙面で取り上げた、香美町香住区に伝わる「おしゃらいさん」。お盆に不思議な棚を飾る風習で、歴史や分布状況などの取材は鋭意継続中ですが、その成果をご報告する前に、今回は各集落で見掛けた特徴的なおしゃらいさんをまとめて紹介します。題して「おしゃらいさん図鑑」。
 いつも見慣れた香住や柴山の人たちでも驚くのではないかと思うのが、余部の傘付きおしゃらいさん=写真【1】=だ。もちろん日差しと雨よけのためだが、住民によると、傘を付けるようになったのは「そんなに古いことではない」という。20~30年前(諸説あり)から広まったとみられ、この特徴は他の集落では全く見られない。
 花の筒は、数も形も家や集落ごとに少しずつ違う。板の四隅に計4本あるタイプが多いが、2本や6本の場合も。ちなみに【1】は私の見た限りでは、最多の8本。筒の材質は大半が竹かプラスチックだが、配管用のパイプを切っただけのものや、空き缶を使っている珍しいケースもあった。一日市では立派な形が目を引いた=写真【2】。

写真【2】
写真【3】

 お供え物が載った約30センチ四方の台は、ほとんどが「板」と形容するしかないシンプルなもの。そんな中、鎧では堂々たる欄干が設けられたおしゃらいさん=写真【3】=が存在感を放っていた。
 はしごは6~7段が主流。一方で、はしご自体を設置していない家も実は少なくない。「この辺では誰も付けない」と胸を張る人もいれば、私が指摘すると「あ、忘れてた」と慌てて取り付けた人も。御崎では、味のある細い竹のはしごが確認できた=写真【4】。

写真【4】
写真【5】
写真【6】

 前回も紹介したように、柴山はササが飾られているのが特徴的だ=写真【5】。住民に聞くと、「その辺の山で切ってきた」とのこと。地域的な特色かと思いきや、柴山から香住を挟んで遠く離れた鎧(【3】)でもササがあり、これに関してはよく分からない。
 ササつながりだと、集落に3軒ほどしかない訓谷のおしゃらいさん=写真【6】=には、プラスチック製のササが板の周囲にびっしりと並んでいた。この家の主人は、やはり柴山出身。管理に手間がかかるので、葬儀店で購入したという。
   
 次回、私が夏バテしていなければ、もう少し掘り下げた記事をお届けできるかも。情報提供も引き続き受け付けております。

(2018年8月22日付朝刊より)

各地の写真は集まりますが、情報呼び掛けの結果は芳しくありません。
そこで記者のとった行動は―

香住の「おしゃらいさん」
美しき文化よ 次代に
呼び名「お精霊」が由来か

 お盆に家の前や庭に不思議な形の棚「おしゃらいさん」を飾る香美町香住区の風習について、15日付、22日付と2回にわたって紹介してきました。私が夏バテしなかったので、完結編をお届けします。あれだけ情報提供をお願いしたものの、残念ながら反響が少なかったため、自分で調べました。

▼歴史

 さて、おしゃらいさんはいつごろ始まった風習なのか。答えはずばり、「分からない」。香住を中心に約250軒の檀家(だんか)がある通玄寺(同区香住)の大崎弘義住職(73)は「江戸時代中期とか…でしょうか」と一応推察はしてくれたが、証明する文献があるわけではなく、「私としては『分からない』としか言いようがない」とのこと。町教委の文化財担当にも尋ねたが、町にも由来などを記したものはないという。

▼分布

 13日から14日にかけて、香住区の海沿いを西端の余部から東端の相谷まで、おしゃらいさんを求めて歩いた結果、東は佐津地区の訓谷を境にぷっつりと姿を消すことが分かった。訓谷にも3軒ほどしかなく、そこからさらに東の安木、相谷では皆無。住民に尋ねても「この辺では見掛けない」と口をそろえた。
 では西はどうか。浜坂支局の小日向務記者によると、余部に近い新温泉町東部の一部でもおしゃらいさんを飾る風習はあるらしい。そして南は、ある情報筋によれば、香住区と接する村岡区の一部でも確認できるとか。いずれにしても、香住の中心部がおしゃらいさんの一大拠点であるのは間違いなさそうだ。

▼諸説

 「おしゃらいさん」というかわいらしい呼び名は、「お精霊(しょうりょう/しょうろう)」が転じた説が有力。一方、数少ない情報提供の一つに、京都市出身の男性(70)からの「京都では盆の行事を『お招来さん』と呼ぶ地域があるので、それが由来では」というものがあった。が、前出の大崎住職は「これが正解というものはない」と、どちらの説も否定しない。
 ところで、余部周辺で多く耳にした「サイライ棚」「サイリ棚」に関しても、面白い話を聞いた。地元の80代女性によると、「ここらではみんなそう呼んでいたけど、20年くらい前から葬儀屋さんが『おしゃらいさん』と言い始めて、段々そちらの方が広まった」というのだ。その「葬儀屋さん」とは…。

▼葬儀店

 葬具なども扱う創業44年の香住の葬儀会社「如来堂」。何を隠そう、先述の「ある情報筋」の正体もここだ。集落を回っていると頻繁にその名前を聞いた。なぜならこの会社、なんとおしゃらいさんを販売しているのである!
 「創業後しばらくして、お客から『作ってほしい』という声が届くようになり、手作りして売り始めた。今は大工さんに外注している」と尾﨑芳和社長(58)。同社のチラシには、スタンダードな形状の「オシャライさん」が確かに掲載されている。年平均で20個ほど売れるという。
 今年購入した70代の夫婦は「全国チェーンの仏具店などで何年も探したけど見つからず、途方に暮れていたので助かった」と苦笑。昔はそれぞれの家で自作するのが当たり前だったそうだが、今後はこうした「既製品」に少しずつ入れ替わっていくのかもしれない。

▼最後に

 通玄寺のほか、長福寺(一日市)、願行寺(同)の住職にも取材したが、誰もが「香住が誇るべき素晴らしい文化だ」と力を込めた。ただ、願行寺の伊藤無學住職(57)が「高齢化の影響か、おしゃらいさんが少しずつ少なくなっているように感じる」と漏らしたのが気になった。「この先も大事に受け継いでほしい」。大崎住職の言葉が、胸にしみた。
 想定より長くなったが、美しくまとまった。今回は、ここらでよかろうかい。(終)

(2018年8月31日付朝刊より)

いったん「(終)」としましたが、情報提供が続きます。
兵庫県外からのものもあり、「番外編」が9月に掲載されていました。

「おしゃらいさん」番外編
精霊棚 西日本各地に
「うちでもある」県外から目撃情報
岡山「ボニ棚」、福井や愛知「盆棚」…
素朴な民間信仰を反映

 お盆に家の前や庭に不思議な形の棚「おしゃらいさん」を飾る香美町香住区の風習について、8月15、22、31日付の紙面で紹介しました。前回で終わるつもりでしたが、私が遅い夏休みを満喫している間に、数件、気になる情報が寄せられましたので、あと1回だけお付き合いを! 31日付で「完結編」と書きました。では今回は「番外編」ということで。
 まずは写真をご覧いただこう。ネットで偶然記事を読んだ福井県高浜町の上井壱雄さん(63)から、「うちでも似たような風習がある」と届いたものだ。
 目を引くのは、木の棚を覆うように設けられたササ。上井さんによると、かつては木ではなく竹を切ってきて、棚やはしごをそれぞれの家で手作りしていた名残という。お盆が終わると、竹をまとめて川に流していたらしい。
 毎年新しく作るのが手間で、最近はこのような木の棚が広まった。「棚を飾る家もだんだん減ってきた」と上井さん。ちなみに高浜町ではシンプルに「精霊しょうろう棚」と呼んでいるという。

▼各地に伝わる

 地元香住からは「おしゃらいさんが、『香住地域の特異なもの』という捉え方で書かれているのが気になった」とメールをいただいた。これまでの記事ではそこまで言及しなかったが、上井さんの例でも分かる通り、確かに「精霊棚」の風習自体は全国各地に残っている。
 信仰や儀礼に詳しい国立歴史民俗博物館(千葉県)の関沢まゆみ教授によると、岡山県の「ボニ棚」、福井県や愛知県の「盆棚」など、中国地方から北陸、四国、東海へと広がる様子が確認できるという。「いずれも先祖の霊が棚の上まで上がれるように、はしごがついているのが特徴」とのことだが、香住でははしごのない家も多かった。時代や場所で変化していったのだろう。
 「基本的なことが報じられていません」というご批判も頂戴した。宗派の違いだ。
 私も当然そこには留意しており、おしゃらいさんのある家では必ず寺の宗派を確認した。その結果、真言宗、浄土宗、曹洞そうとう宗、臨済宗など多岐にわたったが、浄土真宗など一部でこの風習がないことが分かった。ちなみに前述の上井さんは臨済宗である。
 お察しの通り、香住でのおしゃらいさんの分布状況は、寺の宗派の分布とも関係する。が、これ以上は話が長くなるので割愛。

▼〝銀座〟楽しんで

 最後に念のために確認したが、おしゃらいさんがいつごろから続く風習かは、関沢教授もやはり分からないそうだ。「民俗・習俗の起源は、記録に残っていないのが普通です」。ただ、「仏教の影響を受ける前の、素朴な民俗信仰のあり方や、お盆の先祖の祭り方を伝承しているもの」として注目されるという。
 ところで関沢教授は数年前、実際に香住で調査もしている。家の前におしゃらいさんが並ぶ光景を見て「まるで〝おしゃらいさん銀座〟のよう」と、その美しさに感動したという。
 長い旅になりました。皆さんも、来年はおしゃらいさん銀座のそぞろ歩きを楽しんでみては。ちょっと不思議な感覚が味わえますよ。では、今度こそ本当に終わります。さようなら。(完)

(2018年9月14日付朝刊より)

紙面に掲載された7本のうちの1本は、取材を続けてきた記者の離任の際のコラムでした。

離任あいさつ 知った記者のだいご味/黒川裕生

 私は今、香住支局から徒歩1分の民宿にいる。先ほど香住ガニのフルコースを堪能したところだ。独りで。
 このコラムを皆さんが読んでいるということはつまり、10月1日付の異動の辞令に伴い、私が既に神戸への転居を終えていることを意味する。本社報道部への異動を言い渡され、寂しさの余り、気が付いたらネットで宿を予約していた。そしてとうとうその日が来た、というわけである。
 思い返せば2年半前、赴任した香美町についての知識はほぼゼロであった。そもそも人生で兵庫の北部自体に縁がなく、記者歴十数年にして、見聞きすることの全てが面白かった。
 今年は特に、「かまたりさん」や「小人(こびと)の墓」、そして「おしゃらいさん」と、地元でも見過ごされてきたニッチな話題を好き放題書くことができた。仕事をしているのか、遊んでいるのか。正直、自分でもよく分からない毎日だったが、地方紙記者のだいご味を「これでもか」と味わい尽くせたのは間違いない。
 限られた時間だったとはいえ、皆さんの人生の一部に関われたことを幸せに思います。それでは、宿の温泉に入ってきます。妻よ、許せ。但馬で最後の贅沢ぜいたくだ。

(2018年9月30日付朝刊より)

一連の記事はあの黒川記者のものでした。関連の投稿はこちら

7本の「おしゃらいさん」のうち、最新の記事も紹介します。
黒川記者がスポットを当てた集落の伝統行事を後任の支局長も訪れます。
県の調査資料と地元出身の名優の回想録を添え、記事に厚みを持たせていました。

香住の盆行事「おしゃらいさん」
有縁無縁の霊魂供養
江戸期から 庭に棚飾り供え物

 香美町香住区の沿岸部の集落では、毎年お盆の行事として、庭などに精霊棚しょうりょうだなを飾る風習がある。地元では親しみを込め、「おしゃらいさん」と呼ぶ。古老によると、先祖の霊を迎えて供養するだけでなく、無縁仏を祭る意味合いもあるという。
 今月15日、同区香住の住宅街。民家の玄関先におしゃらいさんが飾られていた。石の台座に差した約1・5メートルの棒の上に正方形の棚(約30センチ四方)が載せられている。四隅には花を入れた竹筒が立てられ、中央の皿に団子やキュウリ、ナスなどのお供え物。仏の名を記した旗などもある。
 地面から棚へ5段のはしごが掛けられている。「はしごを登って先祖代々の霊にお供え物を食べてもらう。祖父からそう聞きました」と、自宅で休んでいた清水良一さん(95)が話した。
 清水さんの実家はもともと、明治初期創業の旅館「大和屋」を営んでいた。香住村随一の目抜き通りに面しており、薬や日用雑貨、酒、たばこ、食料品なども販売。繁盛したという。
 おしゃらいさんには、有縁無縁の霊魂を招いて接待する意味があるという。「香住は昔から海が近く、旅館の隣には城崎温泉(豊岡市)へ通じる街道もあった。海難事故や行き倒れて亡くなった人の冥福も祈っていたのでは」という。
 兵庫県の但馬海岸地区民俗資料緊急調査報告書(1974年発行)によると、精霊棚は、同区佐津地区以西の沿岸部を中心に、鳥取県までの集落で確認されている。内陸部では同町小代区で認められるだけとも記される。
 香住区では、宗派を超えて多くの寺の檀家だんかが精霊棚を飾り、お盆に、僧侶に読経してもらう「棚教たなぎょう」をあげる風習を受け継いできた。
 清水さん宅を含め約250軒の檀家がある通玄寺(同区香住)の大崎弘義住職(76)は、おしゃらいさんの呼び名について、死者の霊魂を指す「精霊(しょうりょう/しょうろう)」が、「香住の人の言い癖で変化したものでしょう」と推測する。風習の起源は江戸時代にさかのぼり、なぜ沿岸部に多いかは「よく分からない」と首をひねった。
 少子高齢化や新型コロナウイルス禍の影響で、おしゃらいさんを見掛ける機会が少なくなる中、大崎住職は「先祖への感謝が込められた1年で最も大切な行事を、次代に残さなければ」と強調した。

▼あの世とこの世結ぶ はしごなんやて
「日本一の斬られ役」福本清三さんも回想

 香美町香住区森出身で「日本一の斬られ役」として活躍し、1月に77歳で亡くなった俳優、福本清三(本名・橋本清三)さんも生前、回想録「おちおち死んでられまへん―斬られ役ハリウッドへ行く」で、「おしゃらいさん」への愛着を語っていた。
 福本さんは香住第一中学校を卒業後、15歳で古里を離れた。回想録では「私らの方では『おしゃらいさん』って呼んでます。あれはご先祖さんが帰ってくるための盆飾りで、あの世とこの世を結ぶのがあのはしごなんやて」と、墓参りに帰省した際に目撃した時の様子を語っている。
 はしごは7段が主流だった風習の意味合いについては「あれって、四十九日と関係あるんやないかと思うんですわ。ほら、亡くなって一週間目が初七日でしょ。それから七日ごとに、それぞれなんやらの仏さまに連れられて、だんだん向こうに行って、七回目が四十九日。それで、やっと成仏するって、聞いたことありまへんか」と話していた。
 「それで、盆が終わった八月十六日に、(お供え物を)矢田川に流すんですわ。『また来年来てなぁ…』って言うて」と続けている。おしゃらいさんのある風景に思い返す記憶は多かったようだ。
 この夏、初盆を迎えた福本さん。古里に息づく風習を再び、空から見守り続けてくれることだろう。

(2021年8月24日付朝刊より)

<播州人3号>
1997年入社。柳田国男の没後50年に合わせ、播磨の伝統行事を取り上げる企画にデスクとして関わりました。掲載の条件を「これまで紙面で取り上げられていない行事」としました。「さすがに『初出』に縛るのは難しいだろう」と予想していましたが、聞いたこともないような風習が集まりました。起源や詳しい経緯は不明なものばかりでしたが、先祖から受け継いだ伝統を実直に守り、次の世代に引き継ぐ―。荒っぽい方言や運転で有名な播州人ですが、別の一面も持っているようです。

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