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人生100年 「プラチナ世代」の輝き

 人生100年時代。仕事をリタイアした後も、多くのシニア世代がさまざまな分野で活躍しています。旺盛な好奇心と情熱で新境地を切り開き、夢をかなえています。
 人生の挑戦に、早いも遅いも、老いも若いもありません。
ド・ローカルが第二の人生を輝かせている兵庫県関係の「プラチナ世代」の姿を紹介します。
 ひと言、ひと言に「勇気、元気、やる気」をもらえます。

「世界最高齢のプログラマー」若宮正子さん

東京都港区六本木6、六本木ヒルズ

 通勤ラッシュの人波に交じり、白髪でベリーショートがよく似合う小柄な女性が現れた。米アップルの世界開発者会議に特別招待され、「世界最高齢のプログラマー」と称される若宮正子さん(87)だ。
 取材場所に指定されたのは東京・六本木ヒルズ。「ここにあるグーグル本社で、(話し掛けてさまざまな指示を出せる)AIスピーカーのユーザーとして意見を聞かれるのよ」。さらっと口にする若宮さん。
 「AIスピーカーこそ高齢者に必要なツール。私は家でスピーカーに『お掃除して』って言ったら、(掃除家電の)ルンバが動いてくれるの」と笑う。
 「ちょっと着替えてきます」とトイレに向かうと、インベーダーゲームの模様のようなシャツを羽織って戻ってきた。
 「これエクセルアートでデザインしたの」。名の通り、表計算ソフト「エクセル」のマスに色を付けて描くもの。「おしゃれにお金はかけないけど、自分らしさを表現するために作りました」と表情を緩ませる。
 自身のスマホの画面には、80歳から独学でプログラミングを学び、開発したアプリ「hinadan(ひな壇)」。三人官女などひな人形を正しい位置に飾るゲームだ。「高齢者向けアプリがなかったから自分で作ってみたの」
 アプリが世に出た2017年、米CNNテレビの取材を受けた。メールで取材項目を渡されたが、英語ができないため「グーグル翻訳」を駆使。「英文の質問をコピペ(コピー&ペースト)して翻訳。日本語で打った回答をまたコピペして翻訳する繰り返しだった」と振り返る。
 ニュースが流れると、瞬く間に若宮さんの名は世界に広まった。米アップルのティム・クック最高経営責任者の目にも留まり、世界中の業界関係者が注目する「世界開発者会議」に招待された。若宮さんは「ITの世界は若い世代への注目はあったけど、高齢者は見落とされてきたのかも」と冷静に分析する。


▼60歳で初めてパソコンを手にした

 若宮さんが初めてパソコンを手にしたのは60歳の時。定年を機に「外の世界とつながりたい」と購入した。シニア向けオンライン掲示板に入会するなどネットとの親和性を強めていった。アプリ開発後は、政府や国連の会議で活躍しながら、全国各地で講演を重ね、メディアにも出演する。シニアにITへの関心を持ってもらうことを願ってのことだ。
 「AIスピーカーもしかり、災害時の緊急速報メールもしかり、超高齢社会を迎える日本では、高齢者こそ効率的にITを使いこなして、生活や命を守っていく必要がある」
 「老いとの闘いを実感することはあるのですか」。思い切って尋ねてみた。
 「闘うなんて考えません。沈んでゆく夕日と駆けっこしても勝てないのと同じ。今できることをする。普通のおばあさんだった私も忙しくなったらなったでやっていけてます」
 最後にシニア世代に一言。「自分の老後ばかりを考えるのではなく、次世代が経験していく新しい時代を正しく理解してほしい。それは自分たちがどのように生きていくか、楽しみにもつながりますよ」

(神戸新聞別刷りから)

 最近では、公益社団法人「ACジャパン」のCMに起用されている若宮さん。東京生まれですが、小学4年から中学1年まで、父親の転勤で兵庫県生野町(現・朝来市)で過ごしました。大手銀行退職後にパソコンを習得し、シニア世代のサイト「メロウ倶楽部」副会長やNPO法人「ブロードバンドスクール協会」の理事を務めました。
 ACジャパンのCMで、若宮さんが口にする言葉が心にささります。

「とにかくバッターボックスに立ってバットを振ってみようと思ったんです
そしたら当たっちゃったんですよ。(中略)ほんとに人生はわかりませんね
だから、自分の未来にフタをしちゃいけないと思いますね」


佐用から沖縄へ移住 思い描いていた夢とぴったりの場所

沖縄県国頭村

 正月の沖縄は、セーターが要らなかった。うっそうとした緑と、一面に広がる青い海。山深く雪に覆われる佐用とは全く異なる風景に、目黒輝美さん(78)は「思い描いていた夢とぴったりの場所」と感じた。
 沖縄本島最北端の国頭村(くにがみそん)。2019年1月1日。マンゴーが特産の南国の役場で、目黒さんは経済課係長の樋口淳一さんに移住の相談をしていた。
 生まれ育った兵庫県佐用町を中心に、障害者のグループホームなど9事業所を運営。その実績をリセットして後継者に託し、夫の有博さんとともに新たな福祉事業を立ち上げる。
 佐用町の人口約1万6千人に対し、国頭村は5千人を割り込み、19年春には小学校2校が休校した。過疎地で福祉に携わってきた自身の経歴が、同じ課題を抱える村の活性化につながれば―。 樋口さんが、目黒さんの印象を振り返る。「会う前は70代という年齢が気になったんです。でも話してみると、若者にはない経験があって、自分の考えをしっかり遂行できる人だなと」
 1944年、現佐用町の中安村で生まれた目黒さん。短大を卒業して就職したが、教員の夢を実現するため、大学に入り直して免許を取った。
 1974年、神奈川県の盲学校で教壇に立つと、生徒の就職先の乏しさに直面する。「障害の有無にかかわらず、可能性を広げられる社会をつくりたい」との思いから英国に留学。多様な職業選択が可能な欧米の社会構造に触れ、実践の場として、故郷の佐用で1998年から事業を続けてきた。

▼「当たって砕けろ」に老いも若いもない

 これまでに、子宮内膜症に乳がん、肺がん、そして2度の背骨の圧迫骨折を経験。「ヨボヨボのおばあちゃんになるかと思ったけど、意外にしゃんとしてるのよね。『当たって砕けろ』に老いも若いもないと思って」。漠然と夢見ていた、マンゴーを育てながらの南国暮らしを考え始めた。
 インターネットで候補地を探し、国頭村にたどり着く。多忙な目黒さんのために正月休みを割いてくれた樋口さんら地元の人たちの好意的な対応に必要とされる喜びを感じた。
 描くのは「農福連携の町おこし」。マンゴーなどの農作物の栽培、加工を手掛けるグループホームと多機能型事業所を開設する。地元で利用者を集めるのではなく、全国から移住してきた障害者を雇用するというのが最大の特色という。
 「障害者が暮らすには、支える人が必要になってくる。健常者のみの移住を前提とした一般的な町おこしよりも、実は効果が大きいんですよ」
 本格移住に向けてあいさつ回りが続く2019年9月、目黒さんは、初めてかりゆしを買った。落ち着いた朱色に、淡い花柄が映える沖縄人の「正装」だ。
 袖を通してみる。心地よさが、全身に広がった。

(神戸新聞別刷りから)

 プログラミングに沖縄移住。年を重ねて新しい扉を開いた若宮さんと目黒さんには、今、この瞬間のやりたいことにこだわって生きるという共通点があります。2人からこんな言葉が飛んできそうです。「私たち、これからが、いいところ」。
 続いては、60歳を前にアイドルオタクに変身した女性の人生です。

韓流アイドルオタク どきどきする気持ちが人生を変えてくれた

慈優(じゆう)ななさん(仮名)

 「一人一人は完璧じゃないからこそ、互いに補い合っているのがいいの」
 「この子は美形なのに歌が苦手で、その子は片耳が不自由だけど歌唱力が抜群、背が一番低い子は作曲が得意」
 「みんな努力家で地に足が着いていて、すごく仲が良くて」―以下略。
 大・大・大好きな韓国アイドルグループのこと、話しだしたら止まらない。神戸市の慈優(じゆう)ななさん(61)=仮名=は、20代の男性13人組ユニット「セブンティーン」に夢中だ。
 芸事好きな母親の影響で、歌舞伎もタカラヅカもジャニーズも一通り見たけれど、ハマらなかった。冬ソナから始まった韓国ドラマブームもスルー。でも何となく見ていたテレビの中のK―POPに心を奪われた。2015年、セブンティーンのデビュー。生まれて初めて「完全に沼落ち(深みにはまること)」した。
 毎月のように韓国を訪れ、コンサートやイベントに参加。手作りの応援うちわやペンライトを片手に、日本での公演はほぼ欠かさず足を運ぶ。
 阪神・淡路大震災で自宅が全壊し、母親を亡くした。「その時から、今しか得られない体験や思い出を大切にしなきゃって思うようにしてる」。気が付けば、庭の物置の半分はグッズでいっぱいに。夫は快く送り出してくれるけれど、出費を思い出すと胸が痛くなるから、行った公演やグッズの数を数えるのはタブーだ。
 「オタク化してから、友達に若返ったねってよく言われるんです」。他のファンは娘世代の10代、20代がほとんど。その中でも負けないよう、ライブへはできるだけおしゃれして行く。若い子にはできない大人ファッションで。
 「何より大好きな存在ができて、どきどきわくわくする気持ちが自分の人生を変えてくれた」
 日韓関係が悪化しているといわれる今だけど、カルチャーを通じた交流の大切さを広めたい。セブンティーンのおかげで知らなかった世界に出合えたからこそ、そう思う。

(神戸新聞朝刊別刷りから)

庭の物置の半分が埋まるほど持っているグループのグッズ

 冒頭にご紹介した若宮さんについて、本紙の1面コラム「正平調」で2018年に以下のように取り上げています。

 若宮正子(まさこ)さんは82歳になる。もしかすると、80歳代で最も忙しい一人かもしれない◆数日前は米国にいた。国連の会議で講演するためだ。今日8日は丹波同友会(事務局・本紙丹波総局)で講演をする。兵庫県内では昨年秋、加西市でも思いを語っていたから、全国からの講演依頼は引きも切らずではないか◆81歳で高齢者向けスマホゲームを考案したので、「最高齢プログラマー」とも呼ばれる。ただし、長らくその世界で仕事をしていたわけではない。高校卒業後は銀行に勤め、パソコンは定年後、それも独学と聞く◆本紙地域版によると、加西ではこんな話をしている。家族の介護で外出しにくくなっても人と交流したかった。パソコンは老後に役立つし、世界中を見られる翼をもらったような気分と。一言一言がまぶしい◆105歳で死去した医師日野原重明さんの持論「若々しい老い方」を思い出す。年齢に気後れしてはいけない。あなたの隠された才能は引き出されるチャンスを待っている。だから、と日野原さんは言った。「いくつになっても、創(はじ)めることを忘れない」◆陰暦2月8日を「こと始め」と呼ぶ地域がある。若宮さんのように、年齢に臆すことなく何事かを始めようと、ささやかな決意をともす人がどこかに。        2018・2・8

<ド・ローカル>
 1993年入社。今回ご紹介した3人は2019年に神戸新聞が特別発行したタブレットサイズの新聞で掲載しました。テーマは「再挑戦」。いくつになっても新しい扉を開く姿が好評で、この記事をきっかけに、本紙でアクティブシニアを紹介する連載「プラチナ倶楽部」が始まり、今春まで計23回続きました。


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