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サルの群れで「人間とは何か」を考えた。故・河合雅雄さんの言葉を振り返ります。

 「人間とは何か」
 その問いから「サル学」を切り開いた霊長類学者、河合雅雄さんは、2021年5月14日、故郷である丹波篠山市内の自宅で死去しました。97歳でした。まもなく一周忌を迎えます。
 河合さんは、戦時中の体験から人間の中の残忍さを知ったといいます。そして戦後、サルからヒトへの進化の過程を解き明かすことで、人間の本質を探ろうとしました。同時に、児童文学者としてもたくさんの作品を残しています。

河合雅雄さんの訃報記事はこちら

丹波篠山市立中央図書館の本棚には、河合雅雄さんの著書がたくさん並ぶ(2019年6月撮影)

 今回は一周忌を前に、晩年の河合さんを取材した記者きんぎょばちが、足跡をたどります。
 ここ30年の間に河合さんが神戸新聞に寄稿した文章や、インタビュー記事、講演録などを集めました。現在の日本や世界に警鐘を鳴らすかのような呼び掛けも多く、その言葉は色あせません。

 まずは2009年、兵庫県立三田祥雲館高校であった記念講演会の講演録記事からどうぞ。

「科学は自ら挑戦すること」。高校生へのメッセージ

 人間とは何だろう。誰もが一度は考える疑問を明らかにするのが霊長類学だ。人間は約600万年前にサルから分かれ、アフリカで生まれた。では、なぜ進化したのか、それを研究している。
 第2次大戦後、それまでとは全く違った霊長類学が日本で起こった。1951年、京都大学に研究グループができた。当時は研究の手本がなく一から方法を探さねばならない。対象は野生のサル。私はアフリカで、世界でも手つかずだった野生のゴリラを研究した。時には熱帯雨林で大蛇などいろいろ食べた。
 こんな話をすると、私がまるで健康でたくましく、成績も優秀だったと思われがちだが、違う。小学3年のとき、小児結核になり、学校を休んだ。しかし、元気な日は昆虫を採集し、熱がある日はグリム童話などを読みあさった。読書が私をつくってくれた。
 2年遅れで高校に入学したが、再び病で3年間休学し、5年遅れ。でも、追いつけた。皆さんも今後、受験などあるだろうが、長い人生で1、2年の遅れなど平気だ。
 さて、エチオピアで研究したのがゲラダヒヒ。500~600頭の大集団をつくる点が面白く研究を始めた。研究には、仲間に入れてもらうという謙虚な気持ちが欠かせない。すべてに名前を付けて顔を覚え、何をどれだけ食べ、季節での変化などを記録した。ゲラダヒヒは雄1頭に雌3頭という一夫多妻制で、その集まりが集団を形成していることなども分かった。
 野外研究は、現地の人に怒られるなど大変な困難が多い。しかし、若い人に言っているのは「何とかなる」ということ。そう思って努力すれば不思議と何とかなる。
 一番大事なことは、くじけないこと。科学は自ら挑戦すること。考え、学び、解決してほしい。

(2009年11月25日朝刊より

 日本で起こった「それまでとは全く違った霊長類学」を切り開いた研究者の一人が河合さんです。サルの群れの中に入り、全てのサルの顔を覚え、名前を付けて観察するという手法は、それまで欧米の研究ではほとんどありませんでした。
 その手法で河合さんは、宮崎県・幸島のニホンザルを観察。芋を洗う1頭の子ザルの行動が群れに広がる様子からニホンザルに文化的な行動があることを発見しました。

河合雅雄さんが生息地の保護や「放蝶」活動に取り組んだオオムラサキ=ささやまの森公園

 続いては1997年、神戸新聞の「21世紀への針路」というコーナーに、河合さん自身が寄稿した文章です。抜粋をご覧ください。

「自己破壊」と「自然改変」という人間の能力

  (前略)
 未来を見通すためには、人類の歩んできた道を知ることが大切であろう。人類は約500万年前、サル類の幹から別れて誕生した。500万年の長い進化の歴史の中で、何度か革命的な事件があった。その中で、現代という時代は、おそらく人類史を書きかえる最も大きな革命が進行中なのではないかと思う。そして、21世紀は、人類存亡の運命を決める世紀になると思われる。
 なんと大げさな、まるで教祖のような口をきくなとひんしゅくする人もあろう。しかし、霊長類学を土台にした人間科学の立場から人間という動物の本質を考えてみると、このような推論にゆきつかざるをえないのである。
 人間は動物の一種であることは間違いない。動物との共通項もたくさんある。だが、動物とは全く異なる性質も持っている。その一つに自己破壊と技術による自然改変という能力をもっていることがあげられる。
 自己破壊が個体に向けられたときは、自殺という行為である。自分で自分を亡ぼすという行為は、動物には見られない。この力が集団を対象にして発揮されたのが戦争である。部族間の抗争、民族間、宗教団体間、国家間の戦争により、集団はしばしば衰亡し消滅する。この二種の破壊行為は、有史以来人類社会で普通に起こってきた。しかし、それは死と再生の儀式的様相をもっていた。ところが現代は、三つめの自己破壊を進行させている。核兵器、地球環境問題がそれであって、ヒトという「種」を破滅する道を開いてしまった。
   (後略)

(1997年8月27日朝刊より)

 「自己破壊」と「自然改変」という、動物にない2つの能力を持ってしまった人間が、21世紀はどう生きるのか。四半世紀前になされた提言が、胸に刺さります。

オオムラサキのサナギ。葉の色に似せて隠れている=ささやまの森公園

 河合さんは約20年前に、携帯電話を使ったコミュケーションについてもつづっています。2003年の「21世紀の針路」への寄稿から抜粋です。

人間関係の持続に大切なことは?「ケイタイ」が変えたコミュニケーション

  (前略)
 ケイタイは人間本来のコミュニケーションのありようを分断し、人を孤立化する働きがある。
 本来会話という行為は、面と向かいあい、相手の表情や息づかいを感じとりながら進行するものである。たとえば笑い方一つとっても、じつにさまざまな意味あいを内包している。その微妙な差異は向かいあっていてこそ、はじめて理解できることだ。会話は常に相手の心の動きを感知し、それに対応することによって成立する。言葉のやり取りだけではなく、身体の動きのすべてを通じて感情のチャンネルができあがるのである。
 ところがケイタイの通話では、自分の言い分だけしゃべり、聞きたくないことはいつでも遮断することが可能だ。適当な言い訳をしてスイッチを切れば、それでおしまい。
 高校生が一緒に歩いているときはあまり話をしないが、別れてからしばらくするとケイタイで延々としゃべりこむ、という行為がよくある。直接の会話から派生するわずらわしさを、すべて排除することができるからだ。
 一緒におれば、心ならずも余計なことをしゃべり、気まずくなったり、相手の心を傷つけることもある。ケイタイではそうしたトラブルを避けることができる。またそのために、とりとめのない話を長々と続けることになる。
 人間関係の持続にとって大切なことは、会話やつきあいに伴って派生する気まずさ、わずらわしさや嫌なことを消去していく努力を持続させることである。それを避けていては、本当に親しい間柄は生まれないと思う。
 若い人の対人態度の根底に「自分は決して傷つけられたくない、また、相手を傷つけたくない」という心情があるように思える。友人関係でもそうだ。それでは決して親友は生まれない。格闘技に近いほど激論し、時には心の血を流し、離反し、相寄り、和み、愛しあうことで心のきずなは強くなり、親友が誕生するのである。
  (中略)
 ケイタイを持たないと不安だ、という人が増えている。中毒症状である。機械の奴隷になってはいけない。人間が発明した機器は、すべて善悪両面をもっている。使用のルールを作り、マイナス面を抑制しなければならない。自動車を例に考えればすぐわかる。ケイタイも本来の機能以外のことに使わないように制限することだ。私はケイタイは持たない。しかし不便は感じない。不便と言えば、公衆電話が少なくなったことだ。

(2003年12月28日朝刊より)

 この寄稿が神戸新聞に載った2003年からさらに時代は移り、人々が手放せない道具は「ケイタイ」から「スマホ」になりました。「メール」に代わるさまざまなツールも、世の中にあふれています。
 人間のコミュニケーションは、どう変化していくのでしょうか。

丹波の森公苑(丹波市)で恒例の、オオムラサキ放蝶会(2020年7月)

 河合さんには、自然科学者だけでなく、文学者の顔もありました。
 自伝的小説「少年動物誌」は、昭和初期の丹波篠山が舞台。これを原作にした映画「森の学校」(2002年)で、河合雅雄少年を熱演したのは、幼少期の故・三浦春馬さんでした。
 次は映画完成当時、2002年の記事です。

映画「森の学校」完成。河合雅雄さん原作、丹波篠山の自然を描く

 昭和初期の丹波篠山を舞台に、命の尊さや家族のきずなの大切さを描いた映画「森の学校」(神戸新聞社など後援)が完成し、原作者の河合雅雄・県立人と自然の博物館館長や主演の神崎愛さんらが30日、井戸敏三知事を訪問した。2月16日からの丹波地域を皮切りに、神戸など各地で上映される。
 原作は河合さん著「少年動物誌」。篠山市出身の西垣吉春さんがメガホンを取った。
 映画は、六人の兄弟が丹波の里山を駆け回りながら、自然の素晴らしさや美しさ、命の尊さを心に刻んでいく姿を、ユーモアたっぷりに描く。
 母親役の神崎さんは「久々のスクリーン復帰でしたが、城跡やお堀が美しく、撮影中は子どもたちも大はしゃぎでした」とにっこり。雅雄少年を演じた三浦春馬君も「豊かな自然に囲まれて自然な演技ができました」と話していた。
 河合さんが「笑いと涙に包まれた感動的な作品」と印象を語ると、知事は「多くの県民に見てもらえるよう県も協力しましょう」と応じていた。

(2002年1月31日朝刊より)

 「森の学校」は近年再び注目を集め、全国でリバイバル上映されています。丹波篠山観光協会は昨年、急きょロケ地マップを作りました。映画に登場するシンボルツリー、ソメイヨシノは、今年もきれいに咲き誇りました。

映画「森の学校」に登場したソメイヨシノ=丹波篠山市曽地中(2022年春)

「森の学校」に登場したソメイヨシノにまつわる記事はこちらからどうぞ

 児童文学者としての河合さんは2018年、「草山万兎(くさやま•まと)」のペンネームで、長編ファンタジー「ドエクル探検隊」(福音館書店)を書き上げました。執筆当時の年齢は、なんと94歳! 出版翌年のインタビュー(抜粋)をどうぞ。インタビュアーは記者きんぎょばちです。

人間とは何か?「答えは出ない」。95歳のインタビュー

 Q:「ドエクル探検隊」の舞台は1935(昭和10)年。篠山町(現丹波篠山市)を思わせる〝笹川町〟で小学校を卒業したばかりの、竜二とさゆりが主人公だ。2人は「風おじさん」に弟子入りし、犬やカラス、サルなど言葉を話せる動物たちと共に南米ペルーへ旅立つ。絶滅したとされる大型哺乳類ドエディクルスが、今も生存しているという説を確かめるためだ。

 「動物の感情を書いたことはあるけど、動物がしゃべるファンタジーを書くのは初めてやったね。僕は科学者やから、事実を積み上げるのが仕事。でも科学の力とは別に、人間には想像する力もある。それを書いてみたかった」
 「学問で一番大切なのは、新しい考えや技術を『創造』する力だが、『想像』はその母体となる。想像力を育てるには、やはり読書。そしていい友人、いい先生。僕はその辺が大変恵まれていた。恵まれなかったとしても、自分で切り開いていく人もいた」

 Q:開戦前の時代設定だが、さゆりの生い立ちには戦争の気配がにじむ。後半には、神獣ラウラの語りで大型動物が滅んでいく壮絶な情景も描かれた。

 「昭和10年は、日本の歴史の中ではまだ戦争が始まっていないころ。僕は小学5年か6年で、遊んだり本を読んだり、何をしてもよかった。開戦したら、何もかもが戦争中心になってしまったからね。飢餓で苦しむ動物を描くのは、多くの軍人が餓死で亡くなった戦争に重なった」
 「竜二とさゆりの行動や物語の大きな流れには、自分自身のいろんな記憶や体験が、ちょっとずつ関わっていると思う」

 Q:若いころはよく体を壊したというが、現在95歳。長生きの秘けつは。

 「人間の体は竹と同じ。ある程度までは、しなって、元通りになる。限界を超えるとビッとひびが入る。そうなるとなかなか治らない。自分の体を知ることが第一やな。僕は病気との付き合いが長いから。若いころは体が弱いことですごく損もしたし悔しい思いもあった。フィールドワークに行けないことも」
 「世の中の変化は速い。人間には欲望があり、ほしいものを何でも手に入れようとすることで進歩してきた。でも進歩ばかりがよいという思想では立ちゆかない。人間はおのおのの欲望をうまくコントロールすることができるのか。長生きしたからには、この世界がどうなるか見守りたい」

 Q:「人間とは何か」の問いからサル学の道に進んだ。およそ1世紀を生きた今、その答えは。

 「なかなか出ませんな。『答えが出ない』ということが分かった。人間って不思議な動物。自分自身を滅ぼす可能性がある。自然を操る能力を持ったから」
 「動物は『種』を永久に維持していく本能を持つが、人間は『個』を考える。好き嫌いはサルにもあるけど善悪を持つのは人間だけ。サイエンスの発見で、人間は幸福にも不幸にもなる可能性の世界を開いた」

(2019年6月25、26日朝刊より)

「ドエクル探検隊」は大長編ですが、パソコンやスマホは使わず、200字詰めの原稿用紙約千枚を、鉛筆で書き上げたそうです。少年少女の冒険物語でありながら、生き物の絶滅を描いたシーンは壮絶です。

(2019年6月撮影)

 このインタビュー当時も河合さんは、公園をつえで歩きながら「あの虫は…」「あのタンポポは…」と、小さな生き物たちに目を向けていたといいます。亡くなる前日も、家族と一緒に近所のホームセンターへ出かけ、植物の苗を買ったそうです。
 そんな河合さんが生きていたら、今後の日本や世界をどのように見て、どのような言葉にしたのか。もう聞くことができないのが残念です。
 あらためて、ご冥福をお祈りします。

<河合雅雄(かわい・まさを)氏>1924年、篠山町(現丹波篠山市)生まれ。京都大理学部卒。人間以外の霊長類にも文化的行動が存在するのを証明し、国内外での徹底したフィールドワークで霊長類学の確立に貢献した。京大霊長類研究所長、日本モンキーセンター所長、日本霊長類学会会長などを歴任。兵庫県内でも、人と自然の博物館(三田市)の館長、丹波の森公苑(丹波市)の公苑長などを務めた。

<きんぎょばち>
1985年生まれ。大学生だった2004年ごろ、河合雅雄さんの著書「学問の冒険」を読んで、「雑木林の思想」に憧れました。その十数年後、丹波篠山支局に着任してインタビューが実現。想像以上にチャーミングな方でした。

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