「罪の声」や「騙(だま)し絵の牙」などヒット作を連発する新進気鋭の作家、塩田武士さん。
ご存じの方も多いと思いますが、塩田さんは2002年4月に神戸新聞社に入り、記者として約10年間活躍した後、独立して現在の地位を築きました。記者としての経験が創作に役立っているのは確かなようで、当時の体験が下地になっていると思われるエピソードが作品の端々に登場します。
では、塩田さん自身は、いったいどんな記事を書いてきたのか。
今回は私、シャープが、神戸新聞のデータベースに残る署名記事から3本を選んでみました。
① 初登場は「リサイクルかばん」の話題
塩田さんの署名入り記事が神戸新聞に初めて載ったのは、入社から2カ月ほどがたった時期の朝刊阪神版でした。
尼崎の警察担当だった塩田さんが、忙しい事件・事故取材の合間に書いた、リサイクルかばんの記事です。
② 噂の代表作、お笑いコンクールに出演
ここで暴露します。
2006年入社の私、シャープは、2002年入社の塩田さんと在籍年数こそ5年ほど重なっていますが、面識は全くなく、会ったこともしゃべったことも一度もありません(たぶん)。
ただ、塩田さんと同期入社の先輩から、数々の噂は聞いています。
その際、塩田さんの「代表作」として必ずといっていいほど出てくるのが、2005年のお笑いコンクールの記事でした。入社3年目の塩田さんが、コンクールを取材するのではなく、ピン芸人として自ら出場した体験ルポです。
記者時代の塩田武士さんが執筆した名物企画「笑いの新星 天下とります」はこちらでお読みいただけます(一部有料)
③ 最後の記事は「まなびー」、ところが……。
初めての署名記事、代表作とくれば、やはり最後の署名記事を紹介しないわけにはいきません。
退社直前、文化部に所属していた塩田さんは、教育面「まなびー」で、子どもたちの体験談を、テーマごとにまとめるコーナーを担当していました。ペンネームで寄せられたかわいらしい投稿の数々に、お笑い好きの本領を発揮して、優しくも冷静に突っ込みを入れています。
塩田さんが担当した最後の紙面は2012年2月12日付で、子どもたちの「わが人生最大の失敗!!」がテーマです。
いかがだったでしょうか。
塩田さんの端的な指摘もおもしろいですが、「角刈りboy」や「大魔王のせがれ」、「踊り魔」など、中学生のペンネームセンスもなかなかのものがあります。
最後に登場するアクセスアカデミーの男性のコメントも、子どもたちのほほ笑ましいエピソードを、温かく包み込むようなまなざしが感じられていいですよね。
この署名記事を最後に、2012年2月いっぱいで神戸新聞を辞めた塩田さんでしたが、なんと、直後に再び、この「まなびー」のコーナーに登場しているのです。
いったいどういうことなのか。
取りあえず、「笑うしかない!」がテーマの2012年3月4日付朝刊をご覧ください。
お分かりいただけたでしょうか。
記事の末尾で、全体を総括するコメンテーターとして登場しているのです。
「笑いにこだわる作家」と名乗っている割には、コメントがだいぶ滑っているように感じますが……、あえて狙ってのことなのでしょう。
とにもかくにも、この記事が、専従作家・塩田武士の〝デビュー〟であることに間違いはありません。
前職で自分が担当していたコーナーで、自身の新たな一歩を刻むという、何ともオシャレなこの展開。
塩田さんの発案だったのか、上司の粋な計らいだったのか、今となっては分かりませんが、塩田さん自身は、きっと覚えている……ことでしょう。
記者時代の塩田武士さんが執筆した名物企画「笑いの新星 天下とります」はこちらでお読みいただけます(一部有料)
<シャープ>
2006年入社。「笑いにこだわる」とまではいかないが、そこそこのお笑い好き。東京で暮らしていた前職時代は、中野などの小劇場に月1~2回ほど通っていた。中学校の同級生に「火災報知器」、高校の同級生に「レム色」(解散)というお笑い芸人がいる。2組とも、一世を風靡(ふうび)したNHK「爆笑オンエアバトル」にぼちぼち出演していたが、周囲で知っている人は誰もいない。
#塩田武士 #罪の声 #騙し絵の牙